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注:
オリキャラが出ます。
1・佳玉
最初の出会いは、鮮烈だった。
堯天への帰り道。
人通りの少ない田舎道で、三人組の
連れていた杖身の男は、あたし達を逃がす間もなくあっさりやられた。
馬から引きずりおろされ、地面に転がされる。
二人が馬に乗せた荷を漁り、残る一人があたし達と向き合った。
背後では、引き取ったばかりの子どもがあたしの衣を掴んで震えていた。
男達を睨みながら、あたしは小声で告げた。
「お逃げ」
「……っ!で、でも!」
「大金払って引き取ったあんたを手放すのは惜しいがね。ここで殺されちまうよりマシさね。だからお逃げ。あたしが隙を作るから」
「
あたしは男達から目を離し、子どもに笑いかけた。
「いい子だね。教えた呼び方を、もう覚えた」
栗色の髪をくしゃりと撫で、あたしはゆっくりと立ち上がった。
「逃がすかよ。ここで大人しくくたばりな」
こちらの動きに気付いた男が、剣先を上げる。
あたしは顎を突き上げ、嘲るように笑った。
「その荷袋に大したもんは入っていないよ。この子を引き取るために、金品ぜぇーんぶ、親の前に置いてきちまったからね」
あたしはかつて『堯天一』と褒めそやされた、啖呵を切る。
高らかに。
「はん、運のない奴らだよ。人様のものを奪って暮らすなんて、性根の曲がった事をしてるから運も逃げてくんさね」
「何だと!?」
相手の、雰囲気が変わる。
それに気圧された風を装い、あたしはよろりと数歩、後ずさった。
つられるように、男が踏み出す。
彼の後ろにいる他の二人との、距離が空いた。
それを認め、あたしはぐいっと子どもの背を真横へ押した。
「お行き!」
一瞬の後、子どもは弾かれたように走り出した。
「待て!餓鬼っ!」
追おうとした男の正面に、あたしは素早く回り込んだ。
追わせるものか――子どもの逃げた道を、体で塞ぐ。
「どけっ!」
振り上げられた剣が、陽光にきらりと光る。
――せいぜい笑って、
剣が、まっすぐあたしの上に落ちてくる。
それを見つめながら、あたしは飛び切りの顔で、笑った。
だが、男の剣先があたしに触れる事はなかった。
代わりに聞こえたのは、甲高い金属音。
いつの間にかあたしと男の間に入った小柄な影が、男の振り下ろした剣を己のそれでしっかりと受け止めていた。
切られていない。
痛みもない。
なのに、目の前が赤く染まる。
「助勢する」
簡潔な一言と共に、赤い景色が動く。
それが助けに入った人の髪の色だと、あたしはようやく気付いた。
***
括っただけの赤い髪を翻し、流れるような動きで剣を振るう。
簡素な旅装姿にも関わらず、あたしは剣舞を見ているような気持ちになった。
三対一。
数でも体格でも到底敵わないようにみえた『一』は、しかしあっという間に三人を地に沈めた。
やがて僅かに息を乱しながら剣を納めると、あたしを振り返った。
「怪我はないか」
小柄な少年だった。
真っ直ぐに向けられた瞳は、目の覚めるような翠色。
褐色の肌や髪の赤との鮮やかな対比に見とれ、あたしはただ頷くのが精一杯だった。
少年は、呻き声を上げる男らの傍らに膝を付くと、彼ら自身の腰紐や衣服を使って手際よく縛り上げた。
そして地面に落ちた己の影に向かって、何か呟く。
少し間をおいて確かめるように頷くと、少年は立ち上がって再びあたしの方を振り返った。
「もう出てきても大丈夫だ」
あたしの、更に後ろへ向け投げた声を辿って振り返れば、そこには逃がしたはずの子どもが立っていた。
あたしと目が合った途端、くしゃりと顔を歪め、泣きながら駆け寄ってくる。
「女将さん!」
むしゃぶりついてくる子どもの温かい体を抱きとめ、あたしはよしよしと背中を撫でた。
「怪我、しなかったかい?」
「あい!……あいっ!」
「馬鹿な子だよ。そのまんま逃げてりゃ良かったのにさ」
腕の中で、子どもはぶるぶるとかぶりを振ると、顔を上げた。
「人は、ご恩を忘れたら畜生と同じだと、いつもお
――だから、ありがとうございます。
碧い大きな目からぼろぼろ涙を流しながら、それでも子どもはしっかりと言った。
ああ、きっとこの娘は、客の気持ちの分かるいい
「立派なお父だったねぇ。だが助けてくれたのはそちらの御仁さ。礼を言うならあの人に言わないとね」
「でも、先にかばってくれたのは、女将さんです」
そう言いながら、それでも子どもは立ち上がり、きちっと両の手を顔の前で組み合わせて頭を下げた。
「女将さんとあたいを助けてくれて、ありがとうございました」
「本当にありがとうよ。何とお礼を言やいいか」
「いや」
固い表情のまま、少年はかぶりを振った。
「むしろ、私の方が謝らなくてはならないくらいだ」
「謝る?なぜ?」
驚いて問い返したあたしから目を逸らし、少年は男達を見た。
「街道に……まだこんな草寇が出るなんて」
あたしは、ふんと鼻を鳴らした。
「いくらお上が取り締まったところで、こういう下郎共は根絶やしにはできないさ。見なよ、こいつらの服。食うに困ってるようには見えないだろ?切羽詰っての盗賊稼業じゃない、怠け者の所業さ。今の景王様が位に就いてそろそろ10年だ。天候は順調だし、妖魔は出なくなった。真面目に働けばそこそこ食えるようになったってのに、ちっと落ち着いてくるとこういう輩がわいてくる。ま、お上にはもう少ししっかり見回ってほしいとは思うがね」
あたしの話を、少年は目を見張って聞いていた。
その表情は、剣を振っていた時よりずっと若く、幼いようにさえ見えた。
正丁前だろうか?
「何て顔してるんだい」
少し可笑しくなって笑いながら尋ねると、
「ああ、あまりに気持ち良い話ぶりなんで、聞き惚れてしまった」
さらりと言って、少年は微笑んだ。
先刻までの固い雰囲気が消えた笑顔は、はっとするほど綺麗だった。
「二人共、堯天まで?」
「……あ、ああ。帰るところさ」
笑顔に見とれて、返事が一拍遅れてしまった。
「私もだ。よければ送ろう」
「それは嬉しいけど……あいつらはどうするんだい?」
地面に転がった男達を指すと、
「役人を呼んでおいた。放っておいても大丈夫だ」
あっさりと言った。
いつ、どうやって呼んだのだろう。
だが、それを問いただす前に、少年はあたし達が乗ってきた馬の手綱を掴んだ。
「急ごう。閉門に間に合わなくなる」
***
幸い、杖身の男は命に別条はなかった。
ただ頭を酷く殴られていて、意識は戻ったもののまともに歩けず、あたしと子どもが馬に、杖身は少年の騎獣である吉量に一緒に乗せてもらう事になった。
名を尋ねたあたしに、少年は『
元は和州の出身で、今は堯天の知人の所で世話になっているという。
「もしかして、剣の修行でもしているのかい?」
さっきの流麗な剣さばきを思い出して尋ねると、翠朔は僅かに首を傾けて、
「まぁ、それもないこともない、かな」
と、含みのある答え方をした。
「大したもんだ。あんたの年であれだけ腕が立てば、州師にだって入れそうだ」
「どうだろう。私程度じゃまだまだ無理だと思うが」
「そんなことないさ。お役人になって出世した暁には、是非うちの店を贔屓にしておくれ。……ああ、いや、命の恩人のあんたなら、今後はいつだって大歓迎だけどね」
「店?」
「そう。うちは堯天にある『
その瞬間、すっと翠朔の顔が硬くなった。
この年頃の男は微妙だ。
『妓楼』と聞いて相好を崩す奴、照れる奴、嫌悪する奴。
彼は――半分想像していた通り――『嫌悪する奴』だった。
「じゃあ、その子は……」
翠朔の目が、あたしの前で鞍にまたがっている子どもに注がれた。
「ああ。今日買い取った子さね」
「何、で……」
あたしは笑った。
「あんた、どうやらいいお育ちのようだねぇ。新しい女王様になって、確かに真面目に働けば食うに困らない程度にはなったさ。だがそれでも……ひとつ歯車が狂えば立ちいかなくなる人達がまだ沢山いるのさ。ことに、この子がいたような小さな農村ではね」
体を捻って見上げてくる子どもの頭を撫で、あたしは続けた。
「この子は一昨年、父親を亡くしてね。母親も病弱で、以前から寝たり起きたりの半病人さ。薬代も馬鹿にならない上に、下には妹と弟がいる。里全体で面倒をみてはいたけど、それも限度があってね。あたしの所に話があったって訳さ」
翠朔は奥歯を噛み締めるような表情で、黙って話を聞いていた。
「会ってみたらこの通り、器量も良いし賢い子だったからね。うちで引き取る事にしたんだよ」
あたしは目を細めて、隣に轡を並べる少年を見た。
「こんな女なら、助けなければ良かったと思ったかい?」
潔癖そうなこの少年が向けてくるのは、同情だろうか、それとも軽蔑だろうか。
どう見られるのも、慣れていた。
だがあたしの意地悪な問いに、翠朔は硬い表情のまま、いいや、と、首を振った。
「一生懸命生きている人を、そんなふうには思えないよ」
あたしは目を見張った。
思ってもみない答えだった。
「責められるべきだとすれば、それは……」
翠朔はそこで言葉を切った。
強く前方を見据える、視線。
だがそれは、単に吉量の前にある景色を見ているようには思えなかった。
「翠朔……」
思わず呼びかけた声に、少年が振り返った。
「佳玉は、妓楼の楼主なんだろう?」
「……ああ」
不意の問いかけに、戸惑いながら頷く。
「楼主自ら子どもを引き取りに出向くなんて、珍しいな」
咄嗟に返答に詰まったあたしに、翠朔の引き結ばれた唇の端が小さく持ち上がった。
「たしかに私は世間に疎い未熟者だが……それくらいの常識は持ち合わせている」
あたしは、理由を求めてくる翠色の瞳から、居心地悪くなって目を逸らした。
「……誰だって、天帝に願って授かった大切な子どもを望んで手放すわけじゃない。預かる人がどんな奴か分かれば、少しは安心できるかと思ってね。……ただの自己満足だよ」
「そうか」
硬かった翠朔の表情が、静かに解けた。
「佳玉は、いいお
「
今まで黙っていた子どもが、不意に口を開いた。
「里の閭胥が、そう言っていました」
「――そうか」
「まじめにはたらけば、ちゃんと年季明けを迎えられる堯天でゆいいつのぎろうだって。だからあたい、がんばってはたらくんです」
「そう」
「これ」
たしなめると、子どもは大きな目でぱちぱちと瞬きした後、口を噤んだ。
そんな子どもを、翠朔は優しく目を細めて見つめた。
「君は強い子だね。
「きのうまでは『玉葉』ってよばれていました。でもこの後は、女将さんが新しくつけてくれるって」
見上げてくる子どもに、あたしは頷いた。
「ああ。これから新しい生活が始まるわけだからね。あとでお前に合った字をつけてあげよう」
「あい」
素直に返事をする子供に、あたしも翠朔も微笑んだ。
***
堯天に辿り着いたのは、閉門ぎりぎりの時間だった。
杖身を乗せたまま店まで送ってくれた翠朔をもてなそうと、あたしは彼を引きとめた。
だが翠朔は、『そろそろ帰らないと、世話になっている人達が心配するから』と、笑って固辞した。
「じゃあ、近い内に遊びに来ておくれ。きっとだよ」
借りを作ったままなのは、性に合わない。
何より、腕が立ち性格にも清明さを感じるこの美少年を、あたしはすっかり気に入ってしまっていた。
客引きのつもりではなかった。
ただ、ここで別れてそれっきりの縁にしてしまうには惜しい、そう思ったのだ。
翠朔は、人にそう思わせる不思議な雰囲気があった。
だがあたしの言葉に、相手はちょっと迷うように首を傾げた。
「何だい、嫌だって言うのかい?」
「そうじゃないんだが……」
曖昧な態度で口ごもった翠朔に、あたしは眉根を寄せた。
「はっきりお言いよ」
「誤解しているようだから、断っておくが……」
がりがりと乱暴に赤い髪をかいて、翠朔は言った。
「佳玉。私は女だ」
――あたしは、顎を落とした。