憧憬~藍染~



「憧れは、理解から最も遠い感情だ――そう思わないか、烈?」

瀞霊廷の、卯ノ花の私邸。
日差しの暖かい縁側で、彼女の膝を枕に寝そべった藍染は、眼鏡を取りながら穏かな声でそう言った。

「急に……どうなさいましたの?」

首を傾げた卯ノ花を仰ぎ見て、いや、と微笑む。

「近頃、ふとそう思う機会があってね」
「新しく副隊長になられた、雛森さんですか?」

あっさり見抜かれ、藍染は苦笑を浮かべると目にかかる茶髪をかき上げた。

「……うん。まあ、彼女もそうだね」

先日、副隊長として彼の直下で働くようになった、雛森桃。
承知していたとはいえ、彼女は見ていてくすぐったくなる程、自分を真っ直ぐ慕ってくれている。

「憧れというのは……それ自体、紗幕の様なものだ。それを通して見る相手は、どうしたって自分の都合の良いようにしか見えなくなる」
「それならば、人それぞれの価値観や善悪の基準も全て同じく『紗幕』でございましょう。それを使わず相手を見れる方が、果たしてどれ程居るというのでしょう」
「確かにね。だが、その中でも特に厚い紗幕となるのが、憧れというやつじゃないかと思ってね」

頭上で、卯ノ花がひっそりと笑う気配がした。

「理解して欲しいと……そうお思いなのですか?」

藍染は一瞬動きを止め、目を上げた。
柔らかく笑んだ彼女が、自分を見下ろしている。

長い睫毛に縁取られた、黒曜石を思わせる瞳。
どこまでも吸い込まれそうで、反面、何物をも弾き返しそうなそれは、彼女の中で最も好ましく思う部分だった。
ゆっくりと手を伸ばし、藍染はその瞳の傍らに手を添える。

「………いいや」

彼の答えに、卯ノ花は驚くでもなく、ただ笑みを湛えたまま、『困った方』と呟いた。

「君はどうだい?烈」

白い頬に手を滑らせ、藍染は続けた。

「僕に憧れている?」
「……さあ。どうでしょう」
「酷いなぁ」

再び苦笑し、彼女の頬から首の後ろへと手を回して、引き寄せた。
予想していた抵抗は無く、望んだものはすんなりと自分の上に降りてきた。

「……だが、そうだな」

柔らかな唇を一瞬触れただけで離し、藍染は間近に迫った黒い瞳を覗き込んだ。

「確かに君は、僕に余計な憧れなど持っていない――僕が、君に対してそうであるように」

彼女の、自分に対する『紗幕』は、限りなく薄い。
時折こちらに向けられる視線は、強くはないくせに、深奥まで見通されている気がした。

――彼女は、危険だ。

本来ならば、排除対象にすべき程に。

来るべき計画で、万が一『鏡花水月』を見破る者がいるとしたら…それは、彼の『死体』に触れる彼女だろう。

全死神の中で、最も高い霊圧を保持する隊長格。
その中でも彼女が五指に入る実力の持ち主であることは、存外知られていない。

現在その力は全て『癒す』方向に向けられているが、それがいざ戦う事に向けられたら……果たして、自分ですら勝てるかどうか。
彼女を屠れば、その他の四番隊に『それ』を見抜ける者は居なくなる筈だ。

――だが、それでは面白くない。

藍染は小さく笑んだ。
それ位のスリルがなければ、この平和で退屈な日々をどうして過ごせよう?

「……烈」

――気付いても、いいよ。

例え気付いても、君はきっと僕を見逃すだろう?

「……惣右介殿?」

卯ノ花の視線が、一瞬、戸惑ったように揺れた。
藍染は目を細め、愛おしそうにそれを見上げた。

「……いや。何でもないよ、烈」

愛してるよ、と言おうとしたが、あまりにも嘘臭くて、止めた。




                                                                          <終>

                                                                     2008.11.20

 

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