この後、乱菊の差し入れだけでは足りなかった隊長が
『腹減ったな』と呟き、破面に襲われる……っていう流れで。(え?無理ありすぎ?)
マジックアワーとは、日没後、完全に暗くなるまでの数十分間の
絶妙かつドラマチックな光加減の時間帯を言うそうです。
Magic Hour~日番谷冬獅郎~
夕日の赤みが徐々に引き、空が夜の色に染まり始めた。
今まで光の帳に隠れていた星が、ひとつ、またひとつと小さく瞬き出す。
日番谷冬獅郎は体の後ろに手を付き、ゆっくりと、だが劇的に色を変えていく空を仰ぎ見ていた。
子供の頃から、夕方のこの時間帯が好きだった。
冬獅郎がどんなに遠くにいても、この頃になると必ず桃が迎えに来た。
『ほら、シロちゃん。おばあちゃんが待ってるよ。帰ろ!』と。
いつも居場所を突き止める桃を不思議に思って、何故分かるのか聞いてみた事がある。
桃は困ったように首を傾げて、言葉を捜しあぐねていた。
「ええっと……よく分からないけど、何となくこっちの方かなって」
答えになってねぇよ、と言い返したのを覚えている。
今思えば、桃は冬獅郎の霊圧を辿っていたのだ。
こんなことを思い出したのは、今現在非常に時間を持て余してるからだ。
瀞霊廷ならば未だ隊舎で仕事をしている時間帯。
だが今は、現世の井上織姫の家の屋上で。
破面の襲撃に備え、気を配ってはいるが、それ以外することもない。
軽い足音がし、背後に慣れた霊圧を感じたのは、その時だった。
「じゃーん!デリバリーサービスら・ん・ぎ・くでーす!」
脳天気な声が聞こえた。
冬獅郎が振り返りもせずに同じ姿勢で空を眺めていると、不意にその視界に金色のカーテンが降りた。
「隊長の意地っ張り」
笑みを含んだ水色の瞳が、冬獅郎を見下ろす。
「お腹空いているんでしょう?何で降りて来ないんですか」
言いながら、乱菊は持っていたお盆のひとつを彼の脇に置いた。
冬獅郎の好きな卵焼きと里芋の煮転がし、そして大きな握り飯が三つ乗っていた。
「……年頃の女の家に、ずかずか入り込めるか」
「織姫は構わないって言ってるのに」
「お前ならともかく、俺はそういうわけにはいかねぇだろ」
そう言うと、冬獅郎は握り飯に手を伸ばした。
「んもう!隊長ってば固いなぁ。せっかく一緒にお風呂入ろうって思ってたのにー」
「阿呆」
腰を下ろしながら口を尖らせる乱菊に、冬獅郎はにべもない。
二つ目の握り飯に手を伸ばしながら、副官が持っているもう一つの盆に目をやる。
「……おい、程々にしておけよ。連中がいつ来るか分からねぇんだぞ」
眉根を寄せる上司に、乱菊は徳利を持ち上げて晴れやかな笑顔を見せた。
「分かってますって。この一本だけです。織姫がね、お兄ちゃんのだって出してくれたんですけど、これが美味しいんですよ」
――何が一本だけだ。 もう呑んでるんじゃねぇか。
口に出しそうになって、すんでの所で留まった。
現世に来てから、乱菊は明るい。
元々陽気な質ではあるが、冬獅郎の目にはその明るさがいささか『過ぎて』見えるのだ。
その理由を、冬獅郎よく分かっているつもりだった。
ため息を付いて、濃紺に塗り変わった空に目を戻す。
先刻より、街のネオンが輝きを増して見えた。
二人は暫く無言でそれぞれの好物を味わった。
冬獅郎が盆の上を綺麗に片付け、少し腹の虫が落ち着いた時だった。
肩に軽い重みが乗った。
「隊長……」
乱菊の柔らかな髪が頬に触れた。
俯いて冬獅郎の肩に頭を預けた彼女の声は、小さくくぐもっていた。
「ついて来てくれて、ありがとうございました」
珍しい事だった。
彼女は人に弱々しい態度を見せる事をよしとしない。
それは、冬獅郎に対しても同じだった。
「隊長が居てくれるから、あたしは安心してここに居れるんです」
冬獅郎は、緊張した肩の力を少し抜いた。
「……礼を言うのは早えぇぞ」
群青色の空に目を向けたまま、言葉を継いだ。
「この先、相まみえる事があれば、俺はあいつらを倒す。そうしたら……お前は俺を恨むんだろうな」
乱菊の頭が、一瞬揺れた。
「……いいえ。あたしは十番隊の……貴方の副官です」
微かに掠れた乱菊の声が、冬獅郎の胸に切なく響いた。
彼女に、そして幼なじみに、こんな苦しみを与えたあの二人を心から憎いと思った。
冬獅郎は怒りを溶かすようにそっと息を吐くと、一瞬躊躇ってから手を伸ばした。
頬をくすぐる柔らかい蜜蜂色の髪を、かき混ぜるように撫でる。
昔、恐い夢を見て泣いた時、ばあちゃんがしてくれたように。
「……ここは俺が見張っておく。下で、井上と休んでおけ」
「……はい」
頷きはしたが、乱菊は暫く頭を上げようとしなかった。
冬獅郎もそれ以上は強く促さず、副官に肩を貸したまま、暮れゆく空をただ見上げていた。
やがて生死を賭けた闘いが始まる。
冬獅郎はもちろんどんな相手だろうと二度と負ける気はなかったが、敵を侮ってもいない。
藍染率いる破面は、間違いなく手強い。
負ければ、こんな風に綺麗な夕焼けを見ることは二度とないだろう。
自分の覚悟はできているつもりだ。
――だが、こいつと桃だけは。
無事であってほしい。
笑顔で長く生きていてほしい。
死神として斬魄刀を振るう以上、それは儚い望みだと、分かってはいるが。
――どうか……。
乱菊が去った後も、冬獅郎は長い間その場を動かなかった。
<終>
2007.08.15