星狩の孤独<3>



「檜佐木先輩」
「おう。吉良」

一番隊へ向かう道すがら、声をかけられて修兵は振り返った。
からりと晴れた青空の元、三番隊をまとめる後輩が小走りに駆け寄ってくる。

「早いですね」
「あー……ちょっと時間が出来てな。お前こそ早いな」

嘘だ。
本当は目的があって、必死に書類を片付けて、隊舎を出てきたのだ。
二人とも、目的地は一緒だった。
一番隊で行われる隊首会に、隊首代理として出席するのだ。

「僕は先輩と話したくて。ちょうどここで会えて良かったです」
「俺に?」

首を傾げると、イヅルは一歩修兵の方へ身を寄せ、小声で囁いた。

「――砕蜂隊長の尋問、大丈夫でしたか?」
「いっ……!」

不意打ちで出た砕蜂の名前に、修兵は動揺して言葉を詰まらせた。
だが彼の不自然な反応に、イヅルは気付かなかったようだ。
視線を伏せると、深いため息を付く。

「僕、ショックで。あの時、あんなに色々尋問されたのに……まだ疑われていたのかと」
「……どういう意味だ?」

落ち着きを取り戻した修兵は、ようやく彼の発言の不可解さに気付いた。

川原での一夜から、既に五日が経っていた。
あの時、いつの間にか意識を失った修兵は、翌朝、朝日が昇る前に目が覚めた。
隣に少女の姿は無かった。

まるで、全てが夢であったかのようだった。
だが夢にしては記憶があまりに生々しく、また克明に過ぎた。

あれ以来、修兵の不眠は嘘のように消えた。
相変わらず仕事は忙しかったが、二日間、夜はぐっすりと眠れた。
元々頑丈な修兵の事、夜眠れるようになれば、体力の戻りは早かった。

そうして……その翌日から、仕事の合間に鍛練を始めた。

『力をつけろ。そして……奴と闘って答えを引き出せ。それが貴様の救われる唯一の道だ』

砕蜂に告げられた言葉が根底にあったのは、言うまでもない。
整理のつかぬ気持ちを抱え込んでいつの間にか動けなくなっていた修兵は、あの言葉で心が静まり、取るべき己の道筋がはっきり見えるようになった。

救われた、と思った。
彼女に救ってもらったのだ、と。

だが今、その感謝の上に不穏な影がゆっくり広がろうとしていた。

「大前田先輩に呼びつけられて、あれこれとしつこく聞かれたんですけど、最後に言われたんですよ。僕と檜佐木先輩と雛森君には、今までずっと諜報部隊の監視が付いていたって。特に、隊舎の外に出る時は、いつも」

その三名に共通するものが何か、考えるまでもない。
尊敬していた隊長を失くした、副隊長達。
修兵は眉を寄せて呟いた。

「……連絡、か?」
「……はい」

崩玉を奪い、去って行った藍染達。
総隊長らの調査で、彼らの目的が今、徐々に明らかになってきている。
修兵達には未だ詳細が明らかにされてはいないが、崩玉が彼らの手にある以上、再戦があるのはまず間違いない。
全面戦争となるであろうその戦いは、瀞霊廷の見解では半年先の冬の最中だと言う。

だが、実際彼らがそれまで尸魂界ソウルソサエティに侵入してこないという保証は無い。
これは相手から仕掛けられた戦いだ。
更には、相手はこちらを熟知しているが、こちらは彼らの居場所すら殆ど掴んでいないのだ。
現在、尸魂界は外部からの侵入に対して厳戒態勢を取ってはいるが、それが果たして彼らに通用するのかどうか。
まして内部に連絡を受け、手引きする者がいたとしたら――。

あの老獪な総隊長がそう懸念したとしても、不思議ではない。
そしてその場合、最も可能性が高いのが、かつて彼らの一番近くに仕え彼らを隊長として尊敬していた自分達三人であろうと、考えたとしても。

結局、自分も吉良も、『白』と認められた訳ではないのだ。
『限りなく白に近いグレー』というのが、一番近い見解か。

「……確かに、気分が悪い話だな」

吐き捨てるように呟いたのは、他にも気付いてしまった事があったからだ。

『――ここで、何をしている』

あの時、砕蜂があそこに居たのは、偶然ではなかった。
“監視対象者が、流魂街へ出た”
その報が、砕蜂を動かしたのだ。

「……ですけど、これで本当に僕達の疑いは解かれたって事ですよね」

ゆっくりとした足取りで並んで修兵と歩きながら、イヅルは呟いた。

「ああ。じゃなきゃ大前田先輩もお前に監視の事なんか明かさなかっただろうし、俺達が今日の隊首会に呼ばれる事も無かった」
「ええ。それに関しては、砕蜂隊長の口添えも大きかったと聞きましたけど」
「そ、砕蜂隊長の?」

不意打ちでその名を聞くと、つい声が裏返ってしまう。

「どうしたんです、先輩?」

イヅルの不審をたたえた視線に、慌てて首を振る。

「いや、何でもない。……で、口添えって何だ?」
「『一定期間の監視と尋問の結果、謀反人らと問題の副隊長三名との間に今以て続く繋がりは無いと、二番隊隊長の名において断定する』――と、総隊長を前に言い切られたとか」
「……そりゃあ……」

修兵は目を見張った。

「随分と、砕蜂隊長らしくない物言いだな」

報告事項に自身の意見を交えるのも珍しいし、その言い方ときたら、まるで……修兵の思い込みでなければ……彼らに肩入れしているように聞こえるではないか。
イヅルも頷いた。

「ええ。ですから先輩が心配になりまして。砕蜂隊長にそこまで確信させるだけの言質を取られるのに、一体どれほど酷い尋問を受けたんだろうって」

でも、と言って、イヅルは不思議そうに修兵を見た。

「僕の取り越し苦労だったみたいですね。それどころか先輩、前より顔色が良くなったように見えます」
「あー……あぁ」

明後日の方に視線を逃しながら、修兵は頭を掻いた。

「よく眠れるようになったからな。それに――」

修兵は言葉を切った。

「俺、もう一度――鍛練を始めたんだ」

イヅルの表情がすっと改まった。
その一言で察したのだ。
修兵の覚悟を。
かつての『隊長』に、正面から立ち向かう決意を固めた事を。

「多分、今度の戦いで、俺達は一番に駆り出されるだろうからな」

上の連中だけではない。
自隊はともかく、他隊の隊員達の中には、未だ修兵達に疑惑を抱いている者も多数いる。
その疑いを払拭する為にも、上が確信を得るためにも、間違いなく次の戦いで修兵達は激戦区に送り込まれるだろう。

静かな修兵の言葉に、イヅルは俯いていた顔を上げた。

「――先輩」
「何だ」
「僕も……実は一週間前から始めたんです、鍛練。卍解を、会得したくて」

修兵は驚いて、金髪の長い前髪に半分隠れた後輩の横顔を見つめた。
市丸に心酔していた吉良。
このひと月で、彼の中ではどんな変化があったのだろう?

だがそれは、今ここで聞くべき事ではない気がした。
代わりに、肩を竦めて悪態を付く。

「……ちっ、お前に先を越されるとはな、吉良」
「先輩は昔から、案外腰が重いですよね」
「てめぇ」

言い合って、笑いながら肩をぶつけ。
二人は辿り着いた一番隊の門を、揃ってくぐった。

   

***


「あの、砕蜂隊長!」

隊首会終了後、さっさと一番隊を後にする砕蜂を、修兵は慌てて追いかけた。
本当は彼女と話がしたくて、隊首会前に自隊を早く出てきたのだった。
が、幸か不幸かイヅルに会い、意外な話を耳にする事となった。

隊舎を出たところで追いつき、その小柄な背に呼びかけると、砕蜂は体半分だけ振り返った。

「――何だ」

修兵を見た黒い瞳には、何の感情も宿っていなかった。
親しみも、恥じらいも、軽蔑も、何も。
今までと同じ。
何一つ変わらない態度。

――やっぱり……な。

それだけで分かってしまう。
彼女にとって、あれは『任務の一環』だったのだと。
おそらく、共感どころか同情ですら無かった。

その事実に落ち込まないといったら嘘になる。
けれど。
修兵は勢い良く頭を下げた。

「……この前は、その……ありがとうございましたっ!」

けれど、彼女のお蔭で、修兵の気持ちが軽くなったのは事実だから。

「俺……昨日から鍛練始めました。多分次の戦いまでそんなに時間はないだろうけど……やっぱりあの人の本音が聞きたいんっス。それが、どんなものでも。その為に、今より強くなってあの人と闘いたい。そう思うようになりました。だから、」

――ありがとうございました。

頭を下げたままそう続けると、路上にしばしの沈黙が下りた。

「――別に、礼を言われる事をした覚えはない」

やがて、修兵の頭上でぽつりと呟きが聞こえた。
修兵が顔を上げると、砕蜂は既に背を向けて歩き出していた。

「――せいぜい頑張るがいい」

全く関心無さそうに言い捨てて去っていく、後ろ姿。
だが、修兵は見た。
彼女の左手が一瞬上がり、軽く翻るのを。
まるで、知り合い同士の間で、別れの挨拶をする時のように。

小さな、だが思わぬ変化に、ただ呆然とその背を見送った。

「……ったく、驚かされてばかりだ」

呟いて。
遅れてやってきた嬉しさに、修兵はゆっくりと口の端を上げた。

   

***


『この身にあるのは、隊長としての使命と矜持のみ』

いつか、自らの副官に告げた言葉に嘘偽りは無い。
そして今も、その考えに変わりはない。

――くだんの隊員らを監視せよ。特に、謀反人らとの間に今以て続く繋がりが無いか確認すべし。

総隊長から下った命を、砕蜂は完遂した。
いや、完遂以上のレベルだった筈だ。
これであの男は、謀反人らに死力を尽くして戦いを挑む、戦士となるだろう。――総隊長が、語らずして望んだ通り。

だが。

――情を、入れ過ぎたか。

砕蜂の胸の内に、己の行動に関する僅かな違和感が残っていた。

あの時、何故あんなにも自分の事を語ってしまったのか。
相手の話を引き出し言動を誘導するのみならば、何もあそこまで己の事を語る必要はなかった。
それもあんな、紛れもない本音を。

ただ、あの男の話で、思い出してしまったのだ。
『彼女』に置いて行かれた時の、あの絶望を。
孤独と憎しみを。
そして、それを露吐し昇華する事が出来た、今の幸せを。
だから一瞬、ほんの一瞬、願ってしまった。

あの男が、苦悩の淵から解放される事を。

「――ふん。くだらん」

無意識に挙げてしまった左手を凝視し呟くと、砕蜂は顔を上げ、乱れのない足取りで二番隊の門へと向かった。




                                                                          <終>


                                                                      2011.09.25

 

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