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注:
オリキャラが出ます。
1・香玉
――見つけた。
その日、わたしは堯天の雑踏の中で、ずっと探していた人を見つけた。
姐さんのお遣いで、堯天で話題のお菓子を手に入れた帰り道だった。
ふと前を見ると、大路のずっと先に、あの赤い髪が見えたのだ。
「翠朔さん!」
わたしは、とっさに大声で呼びかけた。
周りの人は驚いたように振り返ったけど、肝心の人にまでは届かなかったようだ。
菓子の包みを落とさないようにしっかり抱えると、わたしは人混みの中に今にも消えそうな後ろ姿を追って、駆け出した。
人違いだとは思わなかった。
赤い髪の人は、何人か知っている。
でも、あんな夏の日差しの強かった日の夕焼けみたいに綺麗な色を持った人は、他に見たことがない。
それは、初めて会った時の印象も混じっているんじゃないかと、実はちょっぴり思っている。
あの時から、彼女――別れる寸前に、女の人だと分かった。それまでてっきりお兄さんだと思っていたのだ――は、わたしの憧れの人だった。
走りながら二度呼びかけて、三度目にようやく彼女が気づいた。
素早く振り返った翠朔さんは、わたしを見つけて目を丸くした。
「あのっ……!翠朔……さんっ……でしょ?」
ようやく追いつくと、わたしはお菓子を抱えたのと反対の手で、ばくばく跳ねる胸を押さえて彼女を見上げた。
翠朔さんは今日も男物の簡素な袍を着て、腰に剣を差していた。
赤く豊かに波打つ髪は、ひとつに括り上げただけ。
分かってはいても、一瞬男の人に見える。
それも、とびきり綺麗で凛々しい男の人に。
「そうだが……君は?」
小首を傾げた様子で、わたしの事を忘れているんだなと分かった。
けどがっかりはしない。
この一年でわたしは変わった。
言葉遣いもだが、何より背が三寸も伸びたのだ。
「一年前、宣州の外れで、
お菓子を落とさないように気をつけながら、頭の前で袖を合わせてお礼を言うと、翠朔さんの顔にゆっくりと理解の色が広がった。
「ああ、あの時の。たしか玉葉だね?」
名前を覚えていてくれた。
わたしは嬉しくなって、大きく頷いた。
「今は
「そうか。いい名前だ」
翠朔さんが微笑むと、途端にぱっと周りが明るくなった気がする。
こんな風に、笑顔一つで空気に色をつけてしまう人を、わたしは他にも知っている。
うちの妓楼で一番人気の、
「随分背が伸びて大人っぽくなったんだな。元気そうで何よりだ。……その、店にはもう慣れた?」
「はい!女将さんも楼の他の人も、とても良くしてくれます。ご飯もいっぱい食べられるし」
「そうか……それは良かった」
「……あの、翠朔さん」
「翠朔でいいよ。何?」
腰をかがめて話してくれる彼女の袖をそっと掴んで、わたしはおずおずと切り出した。
「じゃあ、えっと、翠朔。今からちょっと時間ありますか?」
「うん。大丈夫だけど……どうかした?」
尋ねてくる彼女の袖を、わたしはぎゅっと掴み直した。
「じゃあ、お願いします!今から楼へ付き合って下さい。翠朔には、『ほかくめいれい』が出ているの!」
「捕獲命令!?」
わたしの言葉に、翠朔は再び目を丸くしたのだった。
***
「おやまあ!」
翠朔を見た女将さんは、大きく目を見張った。
そして、それはすぐに嬉しそうな笑顔に変わる。
「香玉、よくやった!」
「はいっ!」
「翠朔、久しぶりだね!ちゃんと礼がしたかったのに、あんたあれから全然寄ってくれないんだもの。さあさあ、早く上がっとくれ!香玉、まずはお茶の用意だよ!」
「はい!」
女将さんの喜び方は相当なもので、まだ寝ていなかった何人かの姐さん達が、何事かと顔を覗かせた。
わたしは頼まれたお遣いを先に果たすため、翠朔と女将さんから離れて、三階の東の奥の芙蓉姐さんの房室へと向かった。
「芙蓉姐さん、香玉です。遅くなってすいません。お遣いから戻りました」
お入り、と柔らかい声が返ってきて、わたしが房室に入った途端、
「ねぇ。今の若旦那、誰だい?」
お菓子を渡すより先に、芙蓉姐さんは楽しそうに尋ねてきた。
「姐さんも覗いていたんですか?」
「ここから見えたんだよ。お前と、お客人がやって来るのがね」
窓枠にたおやかにもたれかかった姐さんは、煙管の煙をぷかりと吐き出して笑った。
緩く波打つ白銀の髪と、同じくらい白い肌が、格子の間から入ってくる日差しに照らされて、きらきらと輝いている。
芙蓉姐さんはとても綺麗な人だった。
「わたしと女将さんが、前、草寇に襲われた時に助けてくれた人です」
「ああ、お前が引き取られてきた、あの時の」
「はい」
「道理で女将さんがはしゃいでいる訳ね」
あの時、店まで送ってくれた翠朔を、女将さんは楼に上げて応待しようとしたが、彼女は固辞してそのまま帰ってしまった。
お礼すら受け取ってもらえなかったと、女将さんは随分がっかりしていたのだ。
『その内寄っておくれとは言ったけど、女の身じゃきっと自分からはここには来ないだろうよ。けどね、受けた恩はきっちり返すのがあたしの流儀だ。だからお前達、今後もし街で翠朔を見つけたら、きっと捕まえてここまで連れて来ておくれ』
翠朔の顔を知るわたしと杖身は、女将さんから強くそう言い含められていた。
だからわたしは、外に出る時はいつも注意して周りの人を見るようにしていたのだ。
けど、女将さんに言われなくても、きっとわたしは同じ事をしていたと思う。
翠朔にもう一度会いたいと思っていたのは、何も女将さんだけじゃない。
わたしだってそう思っていたのだ。
「ふふっ」
芙蓉姐さんが、面白そうに目を細めて笑った。
「気もそぞろだね、香玉。早く
「えっ……!あ、ごめんなさいっ!」
心ここにあらずなのを見抜かれてしまい、わたしはひやっと肩を竦めた。
姉奴にあたる芙蓉姐さんは大らかな人で、わたしは普段あまり怒られた憶えが無い。
けど一つだけ、物事に上の空で取り組む事だけは、とても怒る。
『“今”という時に、失礼でしょう?』という訳だ。
だが今回の姐さんは、怒ったりしなかった。
代わりに房室の隅にある塗りの菓子器を持ってくるよう言うと、わたしの差し出したそれに、買ってきたばかりの菓子を三つ、取り分けた。
「お前のお駄賃と、女将さんと、恩人の若旦那の分」
早く持ってお行き、と勧められ、私は嬉しくなってぴょんと頭を下げた。
「ありがとうございます、芙蓉姐さん!」
「はいはい。あの様子じゃ今日は女将さんが独占しちゃうんだろうけど、次は私もお会いしたいとお伝えしておくれ」
「はい!あ……けど」
私は大事な事を言い忘れていたのに気づいた。
「何だい?」
「翠朔は若旦那じゃなくて、
そう言うと、芙蓉姐さんは大きな赤い瞳をぱちぱちと瞬いた。
「……あらま驚いた。遠目だったけど、所作からしててっきり男の人だと思ったわ。――ますます話してみたくなった。『次は“是非”私も』って伝えておいて頂戴」
「はい」
わたしは素直に返事をして、姐さんの房室から下がった。
けど大急ぎで階段を降りながら、わたしは翠朔が自分からもう一度来てくれる事があるのかなぁと、心の中で首を傾げた。
今日も、翠朔が戸惑っている内に勢いだけで引っ張って来た。
今まで音沙汰がなかった事からしても、自分から女将さんの厚意を要求するような人じゃないし、何より堅気の女の人だ。
たまに男の人に連れられて一緒にやってくる人はいるけど、それ以外、
だって、ここは花街。
――だとしたら、今日が翠朔に会える最後かもしれない。
そう思うと、浮き立っていた気持ちが、しゅんと縮んだ。
けどそんな予想とは裏腹に、翠朔はこの日以降、時々顔を出してくれるようになった。
そして彼女を気に入って、私や女将さん以上に仲良くなってしまったのが……実は芙蓉姐さんなのだった。