桜の頬



 桜の季節に催される感謝の宴。桜花咲き匂う金波宮の庭院に、賓客が次々と訪れていた。泰麒捜索の折にも宮に滞在した延王延麒や氾王氾麟の他、恭国供王、奏国公主が集う雅やかな宴である。
 準備に奔走した女史祥瓊は、現れた高貴な客人たちに笑みを向け、静かに叩頭した。賓客は笑いさざめきながら通りすぎる。そんな中、祥瓊の前で足を止めた人物がいた。

「――伏礼の仕方を覚えたのね」

 聞き覚えのある若い声。祥瓊は僅かに唇を緩める。辛辣な物言いだが、口調に棘は感じられない。恐らく、思うことを率直に口に出しただけなのだろう。祥瓊は素直にはいと応えを返した。
「顔を上げなさい」
 賓客の命に、祥瓊はおもむろに身を起こす。他国の王宮を訪れるに相応しい豪奢な衣装を身に纏う供王珠晶がそこにいた。その目に蔑みの色はない。かつて元公主であった祥瓊を奚に任じた少女王は、視線のみで祥瓊を促した。
 祥瓊の胸に己の辿った道が去来する。義務を怠り、権利だけを貪っていた愚かな公主だった。新たな道を用意してくれた人を恨み、真実を指摘してくれた人を憎んだ。その挙句、顔も知らぬ人を傷つけようと企んだ。そんな愚かしい娘だった。けれど、見捨てずに付き合ってくれた人がいた。柳から雁を共に旅し、慶へと送り出してくれた人が。

「――かつて知ろうとしなかったことを知りました。そんな機会を与えてくださった供王さまに感謝申し上げます。同時に、芳国恵州侯と我が主上にも」

 楽俊。

 胸に銀の髭をそよがせる友の顔が浮かぶ。楽俊のお蔭でここまで来られた。御物を盗んで逃亡した祥瓊に温情を下してくれた供王に謝意を伝える機会を与えてもらえた。

 感謝の念があれば自然に頭は下がるもの。

 そう言ったのは自身への伏礼を廃した我が主。今、供王珠晶を前に、祥瓊は深く頭を下げる。かつての無礼を詫び、恩赦に感謝を示すために。

 一度くらい本心から謝ってみろ、と閭胥に打ち据えられた芳の里家でのあの日。そして、伏礼する度に屈辱に塗れていた霜楓宮での日々。今なら分かる。嫌々頭を下げても、それは形だけ。決して礼を尽くしたことにはならないのだ。

「――人は、変われるものなのね」

 吐息のような声がした。衣擦れの音が近づく。柔らかな気配が祥瓊を促した。祥瓊は顔を上げる。供王珠晶が笑みを浮かべて手を差し伸べていた。祥瓊は大きく目を見張る。

(王は自ら斃れるもの)
(あたくし、あなたが嫌いなの)

 きつい言葉ばかりを浴びせられてきた。そうされても仕方のない態度を取っていたのだ、と己を省みてもいた。しかし、誇り高き供王が、こんなふうに歩み寄ってくれるとは思ってもみなかった。

 供王さま、ありがとうございます。

 その一言が声にならなくて、祥瓊は瞳を潤ませる。供王珠晶は祥瓊の手を取り、苦笑交じりに声を上げた

「あなたは景王のお友達なのでしょう。一緒に宴の席に着きなさい」

 意外なほど小さい、その手。祥瓊は一国を支える小さな尊い手を押し頂き、はい、と応えを返した。大袈裟ね、と呟く少女王の頬が、ほんのり桜色に染まっている。立ち上がった祥瓊は、笑みを浮かべて涙を拭いた。




2013『十二国桜祭』の参加賞として頂いた、管理人・速世未生様の作品その1。
読んだ途端に、「ああ、なんていいお話なんだろう」とため息が出ました。
今の祥瓊が、恭を出奔した時の祥瓊ではないことを、珠晶は察しているでしょう。
けど出来るならこのお話のように、いつか相見えて生まれ変わった彼女を見てほしい。
珠晶に直接礼を言う機会が、祥瓊にあったらいい。
そう願ってやみません。

未生様、どうもありがとうございました!

   

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