2012『十二国桜祭』の参加賞として頂いた、管理人・速世未生様の作品その2。
投稿した拙作『貴方に花を・3』の景麒の絵に、こんな素敵なお話を書いて頂きました!
お話を読み終えると、迷惑そうな仏頂面にしか見えなかった景麒の表情が、
画面に居ない陽子主上に確かに見蕩れているように見えてくるから不思議です(笑)。
未生様、どうもありがとうございました!
さくらびより
国主の執務室には誰もいなかった。書卓の上には書簡が積まれ、小卓には冷めかけた茶が置き去りだ。開け放たれた窓からは花の匂いが吹きこんでくる。どうやら主は春の誘いに屈したらしい。景麒は軽く溜息をつきつつ庭院へと向かった。
季節は春。空は霞む青、風は甘く香り、主が好む桜が次々と咲きほころびている。初めは隣国の主従に譲ってもらったものだけだった桜も、今では様々な種類
のものが妍を競って咲き匂う。桜好きな国主のために側近が持ち寄った一重、八重、薄紅、淡紅、白、枝垂れなど、花期の違う桜が春の庭院を彩っていた。しか
し。
景麒は花開く桜に目を留めることなく、足早に歩を進める。そうして、今が盛りと咲き誇る白桜の下に鮮やかな緋桜を見つけ、足を止めたのだった。
主は樹の下に坐りこみ、落ちた花を無心に拾っていた。花の終わりには花びらを散らすはずの桜が、花の姿を留めたまま落ちているらしい。掌一杯に花を載せた主は、笑みを浮かべて立ち上がった。景麒はゆっくりと主に歩み寄る。それだけで主は振り返り、笑みを見せた。
「ああ、景麒か」
「何をなさっておいでです?」
「桜を拾っていた」
主は事もなげにそう答え、散らずに落ちた桜花が幾つも載せられた掌を差し出す。少し首を傾げた景麒を見上げ、主は楽しげに説明した。
「花びらを散らすはずの桜が、こんなふうに落ちるのは珍しいからね」
白い桜花をひとつ手に取り、主は屈託なく笑う。景麒は脱力した。仕事を放ってすることではない。景麒は大きく溜息をついた。続けて諫言しかけた景麒に、主はすっと手を伸ばす。そうして持っていた白桜を景麒の口に押しこんだ。
「――お裾分けだ。お前もお花見を楽しめ」
主は景麒を真っ直ぐに見上げてそう言った。翠の宝玉は眩しい光を放ち、芽吹き始めた若葉よりも生き生きしている。そして、鮮やかな笑みは満開の桜花よりも美しく、景麒は息を呑んで主に見蕩れた。
「情けない貌をするな。ほら、綺麗だろう?」
主は楽しげに笑い、満開の白桜を見上げる。しかし、景麒は桜を咥えたまま、ただ匂やかな緋桜を見つめるばかりであった。