注:
旧十番隊メンバーが判明する前に書いたお話です。

Sweet Sweet Happy Day



―― 一体、どっからこんなに人が沸いてくるんだ……。

ショウウィンドーの端にもたれて、日番谷冬獅郎は絶え間なく行き来する人間を眺めながら思った。

都心の一角。
ファッションビルとブティックが立ち並ぶ通り沿い。
肩にブランドのロゴの入った紙袋をいくつも掛け、自身もさる名の通ったスポーツブランドに身を包んだ銀髪の少年は、道行く人々の注目を随分と集めていた。
それらの視線を避けるようにキャップを深くかぶり直し、日番谷は向かいの店の奥に掛かった時計にちらりと目をやる。

「……遅ぇな、松本の奴」

『ちょっとお花を摘みに』乱菊が去ってから、かれこれ二十分は経つ。
余程遠くまで行ったのか、或いはどこぞのショップで引っかかっているのか。
彼女の行動と思考パターンから推察すれば、この場合どちらの確率が高いかは……考えるまでもない。

はぁ、と大きなため息を付き、日番谷はもたれていたショウウィンドーから身を起こした。
目標物の霊圧を探る。
案の定、それは三つ先の辻で止まったままだ。

「……ったく、世話のかかる奴だ」

呟いて、日番谷は歩き出した。

***


「隊長、バレンタインのお返しは、現世デートでお願いします」

いつも唐突な部下が、やはり突然そう言い出したのは、弥生月に入り日差しが暖かくなってきた、とある日の午後の事だった。

「何の話だ」

執務机で筆を走らせていた日番谷は、手を止めることなく問い返す。
この女の突拍子の無い言動には、既に慣れている。

「ほらぁ、もうすぐホワイトデーでしょ?隊長がお返しに悩む前に、言っておこうと思って」
「……ほう」

硯で一度筆を整え、ついでにじろりと、斜め前に座る笑顔の部下に目をやる。

「お前の言う、返しの必要な『バレンタイン』とやらは、俺を潰したあの事を言っているのか?」

先月のバレンタイン。
乱菊から『今年はすっごく美味しく出来たんですよ!』と、渡されたチョコレートを食べ、日番谷は倒れた。

「やだ、隊長。人聞きの悪いことを言わないで下さいな」
「人聞き悪いも何も、事実だろうが」
「チョコレートに入ってる、あーんなちょっとのお酒で隊長が潰れるなんて、思わなかったんですもん」
「ワインだ焼酎だウィスキーだと、あんな何種類もの、それも度数の高い酒ばっか使って作るからだ!ちゃんぽんで呑まされるのと一緒だぞ!?」
「あたしは平気でしたよ?」
「ザルのお前と一緒にすんな!」

ぜーはーと肩で息を付き、日番谷は不服そうな顔をする乱菊に続ける。

「大体な、有事でもねぇのに隊長と副隊長が揃って現世になんか行ける訳ねぇだろうが」
「大丈夫ですって。うちの席官達、優秀ですもん」
「んな事は分かってる。そうじゃなくてだな……」
「ああ、上の許可ですか?それなら……」

乱菊は自身の机の引き出しを開け、一通の封書を取り出した。
一定の形式に則って封印されたその封書がどんな種類のものなのか、手に取るまでもなく分かる。

「……お前、そんなもんどうやって……」
「これでも色々、伝手つてがありまして」

日番谷より遥かに長く十番隊の副官職を務める女は、そう言ってふふっと笑った。
封を切り、中の巻紙を取り出す。
案の定、それは十番隊の隊長副隊長へ現世視察を申し付ける命令書だった。
日番谷は巻紙から、それはそれは嬉しそうに笑う副官に目を向け……やがて諦めたように、ため息をついた。

***


――俺はなぜかこの女に弱い。

そう自覚したのは、ごく最近の事だ。
今日のこの現世行きだって、本当に嫌なら突っぱねる事もできた。
あちこち連れ回される事も、人の財布をあてにさんざん買物される事も、分かっていた。
だがそれでも、最後の最後で断れない。
桃に何か頼まれると、それがどんなやっかい事でも、断り切れないのと同じように。

隊首としての、部下に対する義務感以上の何か。
桃に対するのと同じようで、でも全く違うようにも思える、何か。

「……よく、分かんねぇな」

乱暴に銀髪をかき回して再びキャップを被り直した時。
日番谷は前方に尋ね人を発見した。
乱菊は男二人に手首を捕まれ、何やら言い寄られている。

日番谷はぐっと眉を寄せ、足を早めた。

***


「あら、ここ……」

上司の待つ場所に戻ろうとしていた乱菊の視線は、外まで行列の続いている一軒の店で止まった。
新鮮なフルーツをふんだんに使ったジェラートが名物だと、現世から取り寄せた雑誌に紹介されていた店だった。

――隊長が好きそう……。

乱菊の沢山の荷物を抱え、不本意そうに待っているであろう少年の姿が思い浮かぶ。
あっちも見たい、こっちに寄りたいと引っ張り回す乱菊に呆れつつも付き合ってくれ、『んなに買って、どうすんだよ。着る機会なんてねーだろうが』と 文句を言いながら、それでも結局一度も彼女に自分の財布を開けさせなかった、格好良くてかわいい、年下の上司。

彼の傍にいると、つい無茶を言ったりからかってみたくなる。
決して馬鹿にしている訳ではない。
むしろ、あの歳にして護廷十三隊の隊長にまで昇りつめた才能には、敬服している……多分、彼が思っているよりかなり真面目に。

なのについ絡んでみたくなるのは、無意識の内に甘えているからだと気付いたのは、ごく最近の事だ。
気付いて驚いた。
自分は、人に甘えるのが苦手なのだと思っていたから。

乱菊は店の中から、ジェラートを持って出てくる人を眺める。
今日一日のお礼に、隊長にこの美味しそうなデザートを奢るのもいいかもしれない。
乱菊はひとり頷き、列の最後尾に並んだ。

***


ジェラートを両手に店を出たところで、乱菊は近付いてきた若い二人連れの男達に声をかけられた。

「彼女、甘いもの好きなの?」
「俺達いくらでも奢っちゃうよ。一緒に遊びに行かない?」
「あら、ナンパ?」

乱菊は、左右に回った男達を等分に眺めた。
流行の細身のスーツをラフに着こなし、適度に染めた茶髪を無造作にスタイリングした彼らは、顔形も整い、客観的に見てかなり格好良い部類に入るだろう。
だが――それは 乱菊にとって、何の感慨も呼び起こさなかった。

「……一護のがマシね」
「はっ?」
「悪いわね。連れが待ってるの」

あっさり言って足を早め、男達の横を抜ける。

「ちょっ……ちょっと待ってよ!」

男の一人が乱菊の手首を掴んだ。
ナンパ成功率はほぼ百パーセントを誇る彼らからすれば、これは見過ごせない事態だった。
しかも相手は顔もスタイルも超抜群の、滅多に無い『大当たり』だ。

「彼女を一人にする連れなんてさ、放っておいていいじゃん」
「そうそう。俺達と遊ぶ方が絶対楽しいって」

代わるがわるそう口説く彼らに、乱菊は口の端を吊り上げ、首を傾げる。

「――……手」
「へっ?」
「手、離して。早く行かないと溶けちゃうわ」
「そっ……そんな事言わずにさー」

尚も粘る男達に、乱菊が笑んだまま目を細めた瞬間。
彼女の手首から、男の手が乱暴に引き剥がされた。

「いてっ……!」

握られた手を捻り上げられ、男が悲鳴を上げる。
慌てて振り解いて後ろを向くと、紙袋を肩に掛けた、恐ろしく目付きの悪い少年がいた。

「隊長!」

日番谷は顔に大きく『不機嫌』と書いて、男達を見上げた。
その眼光の鋭さに、相手は思わず身を竦ませる。

「……悪ぃが、こいつは俺のだ。ナンパなら他を当たれ」

声を無くした男達の横を過ぎ、日番谷は乱菊へと近寄ると、彼女の手からジェラートのひとつを取り上げる。

「何ぼーっとしてんだ。行くぞ」
「えっ……あっ、はい!」

我に返った乱菊が、慌てて日番谷の背を追う。

「ちょっ……待て!おまえっ!」

同じく自失から冷めた男達が、声を上げる。

「この生意気なクソガキが……っ!」

衆目の面前で、小学生のような子供にあしらわれた。
それが、彼らのプライドをひどく傷つけたらしい。
日番谷は足を止め、物騒な表情で近付いてくる男達を振り返った。

「生意気かどうかは自分じゃ分かんねぇが……」

柔らかくなった苺のジェラートを、一口舐める。

「ガキってのは間違ってるな。少なくともお前達の十倍は生きてる」

ぶっきらぼうに言い放ち、すっと目を細める。

「縛道の一、『さい』」

日番谷と乱菊まであと数歩の距離に迫っていた男達の足が、ぴたりと止まった。

「あっ?わっ……わーっ!」

片足が突然固まり、バランスを崩した二人は派手な音を立てて地面へと転がった。

「安心しろ。十分経てば解ける」

二人の耳に、歩き出した少年のスニーカーの音と、「じゃあねー」という明るい女の声が残った……。

***


「もう、隊長ってばカッコ良すぎです!あぁ、あたし、こんな部下思いの隊長をもって幸せー!!」
「……うるせぇ。分かったから黙れ」

マンゴーのジェラートを頬張りながら饒舌に喋り続ける背後の乱菊に、日番谷は前を向いたまま苦虫を噛み潰したような表情で答えた。

周りからの視線が痛い。

元々この女はひどく目立つ。
更に、自分と乱菊が人の興味を引く組み合わせである事も分かっている。
現世で共に行動する際、ある程度注目される事は承知の上だ。

――だが、せめて口を閉じてりゃ、この視線は三分の二にまで減るのに。

「けど、隊長。ひとつだけ言ってもいいですか?」
「……何だ」

ふと真面目な口調を取り戻した乱菊に、日番谷は首だけで振り返った。

「あたしが食べたかったんですけど。苺の方」

一瞬、沈黙が走った。

「そういう事は早く言え!」
「言う前に、隊長が自然に持っていっちゃうから!」
「ってか、それだけ美味そうにマンゴー食っておきながら、今更言うな!」
「隊長、公道でそんな大声出しちゃいけませんて。注目されちゃうでしょ」
「………喧嘩売ってんのか、手前は」
「まぁ、でも」

上司の台詞を綺麗に無視して、乱菊は晴れ晴れとした笑顔を見せた。

「隊長がカッコ良く悪漢からあたしを守ってくれたから、よしとします」

日番谷はその顔を見上げ、肩を竦めた。

「……逆だ」
「はい?」
「お前から、あの二人を守ったんだ。俺があと少し遅ければ、お前、あいつらに回し蹴りかましてただろ」
「……うっ」

言葉を詰まらせた副官に、日番谷はため息を付いた。

「やっぱり……」
「だっ、だって、両手塞がってたし、早くしないと溶けちゃうし!」
「……あのなぁ。こっちには『過剰防衛』って罪もあんだぞ?お前が一撃食らわせたら、あいつらは一発で病院行きだ。皆がみな、黒崎一護の友人みてぇに打たれ強い訳じゃねぇんだぞ」

乱菊は口を尖らせた。

「分かってますって。あたしだって、その辺はちゃーんと加減してるんですから」
「どーだかな」
「うわっ、隊長ひどーい!」

乱菊は大袈裟に声を上げ、顔を覆う。

「さっきはあたしのこと、愛してるのかと思ったのに!」
「はぁ!?何寝ぼけてんだ、お前は」
「『こいつは俺のだ』って、そう言ったじゃないですか」

一瞬、日番谷は頭の中が真っ白になった。

「ちっ……違う!『こいつは俺の副官だ』っつったんだろ!」
「いーえ!『俺のだ』って言いました!」
「言ってねぇ!」
「一度口に出した言葉を訂正するなんて、男らしくないですよ、隊長」
「言ってねぇったら言ってねぇ!」

――金髪長身の美女に顔を真っ赤にして言い返す少年の姿は、本人の意思に反し、道行く人全ての注目を集めることとなったのだった……。




                                                                           <終>

                                                                     2008.03.30

 

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