『虚国編』が完結する前に書いたので、藍染様お亡くなりになった設定になっています(笑)。
もしそうなったら、それでも浮竹と卯ノ花さんだけは
彼を悼むのではないかと思った次第です。
注:
『虚国編』終了前に書いたお話です。
現状と設定が異なりますのでご注意下さい。
薄
――……ん?
きらり、と、浮竹の目の前で何かが光った。
不意の光に思わず目を細める。
一拍の後、首を回し軌跡を辿れば、それは銀羽の蜻蛉だった。
――いつの間にか、秋が深まっていたのだな……。
西流魂街の土手。
秋晴れの下をゆっくりと歩く浮竹の長い髪を、乾いた風が優しく弄っていく。
やがて眼下の河原の先、目的としていた桂の大木が見えてきた所で、浮竹は突如足を止めた。
提げていた瓢がその動きに合わせて、ちゃぽんと音を立てる。
太い幹に寄り添うように立ち、川を眺める人影。
少し強くなった風が、その長い黒髪の束と白い羽織の裾を揺らしている。
浮竹もよく見知った横顔は、四番隊隊長・卯ノ花烈だった――。
***
受けた風に身を傾け、薄が音を立てて揺れる。
その音に混じって近付いてくる気配に気付き、烈はつと振り返った。
視線の先、人の背を優に越す茶色の草むらをかき分け現れたのは。
「……浮竹様」
「まさかここで、卯ノ花に会うとはな」
桂の周りの、そこだけ刈り取られたようにぽっかり薄の絶えた空間。
彼女に目を留め素直な驚きを示した相手に、烈は少し困った顔をした。
「……まだ遠方への外出を許可した覚えはございませんが」
「遠方という程、ここは瀞霊廷から離れていないだろ。昨日の長い総隊長の話を聞けるくらい回復したんだ。大丈夫さ」
冗談めかして告げる浮竹に、思わず表情を緩める。
破面と死神、そして人間等を含めたあの戦いで生死をさ迷う大怪我を負った浮竹は、確かに今、順調に回復している。
数多の病気や怪我で自分の体と向き合っている彼の判断は非常に冷静で、大抵烈のそれと誤差が無い。
だが、医者としてはどうしても大事を取らせる事を考えてしまうのだ。
「……お早目にお戻り下さいませね」
微笑にそっと付け加えると、適当な妥協点だと思ったのか、浮竹も素直に頷いた。
「ああ。用が済んだらすぐ帰るさ」
――ご用とは?
反射的に問いかけようとして、はっと留まる。
だが。
「……多分、卯ノ花と同じだ」
烈の内心を見透かしたようにそう言うと、浮竹は持っていた瓢の栓を抜いた。
そのまま川端まで進み、ゆっくりと傾ける。
光を含んだ酒が、陽光に反射して、きらきらと流れ落ちた。
戦いが終結してからちょうど三月経った昨日、護廷十三隊全隊員を前に、総隊長山本元柳斉重國より『藍染の乱』の終息が告げられた。
藍染消滅後も、今回の戦いが及ぼした影響や被害状況を確認する為、尸魂界はもちろん、虚圏と現世においても厳重監視体制が敷かれていた。
が、昨日でそれも一段階緩めたものへと変わった。
戦いは過去のものとなった。
世界と人々の中に、沢山の傷跡を残したまま。
「……以前から、この辺りにはよく散歩に来ていたんだ」
空になった瓢を軽く振って栓をすると、浮竹は対岸に目を向けた。
「天気のいい日、時々ここであいつを見かけた。その木の下でいつも手持ちの椅子に腰掛けてぼうっとしていたから、ある時、何をしているんだって尋ねたんだ。そうしたら……」
『……ああ。墨絵の為の写生に来ているんだが』
浮竹を認め、藍染は持っていた紙と筆をかざして苦笑した。
『ここは風も通るし、気持ちが良くてね。来るといつもやる気を殺がれてしまう。おかげで、水代わりにと持ってきた酒ばかりが減ってしまって、困っている所だ』
「藍染らしいと思ったよ。あいつも、結構な飲み助だったよな」
常と変わらぬ声音。
そこに負の感情は感じない。
あるのは微かな哀惜の念だけだった。
それに気付いた瞬間、烈の心の底で何かが揺れた。
――どうして……。
どうしてこの人は、こんなに静かに、穏やかに、彼を語れるのだろう。
まるで、ただ親しくしていた人を亡くしたかのように。
「……恨んでは、おられないのですか?」
思わず問いかけると、浮竹が振り返った。
烈を見ると、不思議そうに目をしばたかせる。
「恨む?どうして?」
「……胸に、穴を開けられましたのに」
「あれは藍染のせいじゃないだろう?俺が油断したせいだ」
さも当たり前のように。
何の気負いも無く告げた浮竹に、烈はたまらず目を伏せた。
彼の強さが、眩しかった。
「あいつにとっては、良き同僚のふり、友人のふりだったのかもしれないな。だがそれでも、やってきた事は普通の友人付き合いと変わらない。失って悲しく思うのは当然だろう?」
ただ、と、小さな声が続く。
川面に向かった銀髪が、微かに背に沈んだ。
「ただ……生きていたら、『何故だ』と……問い詰めたい事は、ある」
相手の胸中を察し、烈は空を見上げた。
その人を思い出す時、烈はいつも晴れた空を思い出す。
志波海燕――かつて特殊な能力を持つ虚によって命を落とした、浮竹の副隊長。
藍染の言により、それは彼の作った実験体の虚だったと判明した。
何故、どうして。
この戦いの中で、皆何度呟いた事だろう。
――そして、私も。
ざあぁっと。
周りの薄が、再び風になびいた。
「――卯ノ花は……」
ぽつりと名を呼ばれ、烈は我に返った。
草々が奏でる漣に溶け込むように、静かな声が問う。
「卯ノ花は、恨んでいるのか?――あいつの事を」
振り返った浮竹が、烈を見ていた。
ためらいを含んだ鳶色の瞳を一瞬受け止めた後、さりげなく視線を外し、烈は足を踏み出した。
浮竹の隣で立ち止まり、先刻までの彼と同じように、対岸を眺める。
「……この場所が好きなのだと、仰っていました」
烈の横顔を注視していた浮竹が、僅かに目を見開いた。
「風が通って開放的で……何より、あれがよく見えるのが良い、と」
二人の視線の先遠く、青空に薄くたなびいていた雲が、風によって飛ばされていく。
その隙間から姿を現したものに、浮竹は小さく息を飲んだ。
「……双極」
『――あれは象徴だと思わないか、卯ノ花』
目を細め穏やかな笑みを刻み、かつてこの場所で彼は言ったのだ。
『冷たく、孤独で、厳然としたあの姿――まさに『死』の象徴のようじゃないか』
彼らしからぬ熱のこもった口調に、一瞬驚いたのを覚えている。
――おそらくあの時、事は既に始まっていた……。
『恨んでいるのか?』
先刻浮竹に問われた言葉が、脳裏に甦る。
――そうだ。
記憶の中の彼のように目を細め、双極を見つめながら、烈はようやく理解した。
かつて彼と共に立ったこの場所に、ふと足が向いた理由。
それは浮竹のように、彼の鎮魂の為ではなく。
自分が護ってきたもの、大切なもの。
それらを躊躇い無く踏みにじり奪い去ったくせに、心底憎ませてくれない彼を。
そして忘れさせてくれない彼を。
恨んでいたからだったのだ、と――。
ざわりと周囲の薄がなびく。
「――卯ノ花、もう帰ろう」
静かに、だが確固として促す声に、烈はゆっくりひとつ瞬きをした。
そうして再び、くっきりと現れた双極を見はるかす。
「――ええ」
頷いて踵を返すと、烈は、足元を気遣って差し出された手を握った。
そうして、振り返ることなく歩き出す。
――さようなら……。
心の中の呟きに答えるように、背後で薄がざわめいた――。
<終>
2009.11.15