一周年記念SSとしてフリー配布していたものです。
睡蓮には、『信頼』という花言葉があるそうです。
私の日乱に対する萌えの原点
『それぞれお互いに大事なもの、捨て切れないものを持ちながら、いざという時背中を預ける信頼関係』
をテーマにしてみました。
映画前提(あの出来事が、破面編の途中にあったという無茶なMY設定・笑)、過去編突入前の本誌前提ですので、
ご覧になってない方にはちょっと分かりづらかったかもしれません。
いえね、原作がこの後どう進むか分からない状態で、そのシーンを元に話を作るのは危険だと分かっているんですが、
久々に二人が本誌登場したあの場面を見た瞬間に、それまでの話はどこかに行ってしまったんですよ(笑)。
睡蓮
すれ違う隊員達が道を譲り挨拶をしてくるのへ頷きを返しながら、日番谷冬獅郎は執務室へと向かっていた。
磨き抜かれて黒光りする廊下からふと庭に目を向け、日差しの眩しさに一瞬顔をしかめる。
高欄の下、照り返す水面には、季節外れの薄紅色の睡蓮が一輪、眠たげに漂っていた。
***
「お帰りなさい、隊長」
執務室の扉を開けると、机に向かっていた乱菊が顔を上げ、笑顔を見せた。
「……おう」
「隊首会お疲れ様でした。今、お茶入れますね」
もう一度、おう、と答えて、冬獅郎は長椅子へ腰掛け息を吐き出した。
給湯室で乱菊の動く気配を感じながら、背もたれに身を預け、ふと左手の副官席とその背後の書棚を眺める。
次いで、そのまま背を反らし、背後にある己の机を逆さに見据えた。
「……隊長、何してんです?」
姿勢を戻すと、不思議そうな顔をした乱菊が盆を持って立っていた。
「……珍しく、俺が居ねぇ間も仕事してたみてぇだな」
「当然ですよ。あたし、根は勤勉なんですから」
「抜かせ」
冬獅郎は図々しい副官をねめつけた。
だが、相手はその程度で臆するような可愛い感性の持ち主ではなかった。
「お茶受けは昨日と同じ栗きんとんですけど、悪くなっちゃうので食べ切っちゃいましょ」
上司の異論を笑顔で流した乱菊は、冬獅郎の向かいに腰かけた。
何か返そうと口を開きかけた冬獅郎は、彼女を見て諦めたように肩を竦め、栗きんとんを掴んだ。
薄い和紙を剥がし口に入れると、それは昨日より少し乾燥していた。
「……いよいよ、明日ですね」
湯呑みを包み込むように持って、乱菊がぽつりと零した。
「……そうだな。松本、」
「七緒がね、泣いてました」
冬獅郎の言葉を遮るように、手の中で揺れる茶に視線を落としたまま、乱菊は続けた。
「また置いていかれるって。京楽隊長にとって、自分は何なんだろうって……」
――可哀想ですよね、七緒。
冬獅郎と目を合わせぬまま殊更に明るい声で言って、乱菊は栗きんとんへ手を伸ばした。
「あたし達副官は、隊長の為に居るのに」
片付いた書類。
塵一つなく掃除された部屋。
そこに見える、彼女の決意。
冬獅郎は息を吐き出した。
「……まぁ、京楽の気持ちも分からんでもねぇが」
視界の隅で、乱菊の肩がぴくりと跳ね上がるのが分かった。
湯呑みを卓に置き、冬獅郎は副官を見た。
「ばーか」
「……えっ?」
「何で顔してやがる」
一度手にした菓子を膝に置いたまま顔を上げた乱菊の表情には、隠しきれない不安が見えた。
「安心しろ。今更残れなんて、言わねぇよ」
乱菊の瞳の中にくゆる不安を払拭するように、冬獅郎は彼女を真っ直ぐ見据えた。
「俺は……二度も同じ過ちを繰り返すつもりは無ぇ」
彼女の手を振り切り、隊長の座も投げ捨てて一人の男を追ったのは、そう遠い昔ではない。
その結果学んだのは、独りで全てを背負いこむ事の、愚かしさと弱さ。
乱菊を、十番隊の隊員達を、本当の意味で信じる心、だ。
「それにお前は、瀞霊廷でただ吉報を待てる奴じゃねぇだろ。大切なものは、戦ってその手で護るのを良しとする女だ――違うか?」
事も無げに言い切られ、乱菊は息を飲んだ。
「……たいちょ、何、で……」
「何で分かんのかって?どれだけお前の上司やってると思ってんだよ」
冬獅郎は肩を竦め、軽く息を吸い込んだ。
「だから松本」
「……はい」
「俺の、背中を預ける」
深い緑の瞳が、真っ直ぐに乱菊を射る。
そこに込められた、絶大な信頼。
「隊長……」
こみ上げてくるものを感じ、乱菊は思わず唇を噛み締めた。
胸の奥が、途方もなく熱くなる。
「俺の背中を護って戦え。そして、必ずここに……十番隊に戻るんだ」
この戦いは、生半可なものではないと分かっている。
進む先には、必ずあいつがいることも。
でも。
――この信頼の傍にいる限り、あたしは 絶対に倒れない。
うっすらと滲んだ涙を振り払って、乱菊は飛び切りの笑顔で、「はい!」と頷いた。
<終>
2008.05.09
2013.01.10【改】