サイト2周年記念SS。
最初タイトルを『白緋桜』としようと思っていたのですが、
それだと白緋SSと間違われそうだと気付き、変更しました(笑)。
白桜紅桜
柔らかく吹いた風にはらはらと、桜の花びらが舞う。
「……あー、今年の桜ももう終わりですねぇ」
廊下の途中。
ふと足を止めた乱菊は、庭に目を向け感慨深げに呟いた。
視線の先には、一本の大きな桜の木。
左右に広げた枝には極々淡い色の花が隙間無く咲き誇り、離れて見るとまるで白雲がかかっているように見える。
盛りを過ぎた桜は、今や僅かな風にも反応し、その花びらを惜しげもなく散らしていた。
乱菊が思わず零した呟きに、前を歩いていた『十』の字の白い羽織がつと止まり、振り返った。
「……お前が今、何を考えたか当ててやろうか」
「えっ?」
「『今夜にでも、急いで名残の酒盛りをしなくちゃ!』とか思っただろ」
「……あははは」
眇めた緑の瞳に射抜かれ、乾いた笑いが洩れる。
――何で分かっちゃったのかしら……。
小さな上司が乱菊の思考を見抜く精度は、日に日に上がっている。
「言っとくが、今日の分の仕事をきっちり片付けるまでは帰さねぇからな」
「はーい」
釘を刺されて肩を竦める。
そうして視線を桜に戻した、その時。
「あ、隊長!」
背後からの声に、再度日番谷が振り向いた、途端。
彼の頬を、一陣の強い風が乱暴に撫でた。
ざああと音を立てた風に 花びらが乗り、広がって、吹雪となる。
突如現れた幻想的な景色に、日番谷はしばし言葉を失った。
「……隊長の卍解みたい」
静かな、どこか夢見るような声が、頭上から降る。
「隊長の卍解を初めて見た時……氷輪丸の周りに散った氷がきらきら光ってとても綺麗で……こんな桜吹雪みたいだと思ったの」
呟いた副官を見上げる。
柔らかく口角を上げ桜を眺めていた乱菊は、日番谷の視線に気付き少し照れたように笑った。
「ふふっ。随分昔の事を思い出しちゃった」
「……本当に昔の事だな」
呪縛から解き放たれ、日番谷は踵を返した。
「だがな、松本」
「はい?」
「いくら持ち上げても、早退は認めねぇからな」
「……あははは」
先刻と同様の、空々しい笑い声。
日番谷の言葉は、副官の本心を見事言い当てたらしい。
「隊長……そんなに鋭いと可愛げが無いですよ?」
「男に可愛げなんて必要ねぇ。それより松本、あまりグズグズしてっと残業になるぞ」
「はあーい!」
もう一度桜に目をやり、乱菊は歩き出した小さな背中を追った。
***
「……お、終わったぁ……」
定時の鐘が鳴る四半刻前。
本日中の書類を全て片付けた机に突っ伏して、乱菊は弱々しい声を上げた。
「やりゃあ出来るじゃねぇか」
日番谷が、こちらも残り数枚になった書類に目を通しながら言う。
「こんなに毎日真面目に仕事していたら、死んじゃいますよー」
「死なねぇよ。普通は毎日それくらい仕事するもんだ」
最後の書類に署名をし、日番谷は筆を置いた。
「ところで……やっぱり呑みに行くのか?」
「もっちろんです!その為に頑張ったんですから!」
がばりと身を起こして、乱菊は勢い良く宣言した。
「……連れは決まってんのか?」
「いえ。恋次か修平か、適当に空いてる奴を誘おうかなぁって……」
机から立ち上がりながら、日番谷はさらりと言った。
「『右近』に、連れてってやろうか」
「えっ……?」
乱菊は目を見張った。
『右近』と言えば、瀞霊廷でも有名な高級料亭の一つだ。
「……もしかして、隊長の奢りですか?」
「俺から誘ってんだ。あたりめぇだろう」
「あたし今日、かなり呑むつもりですよ?」
「んなのいつもの事だろうが。……で、どうすんだ?」
「行く行く!行きますとも!」
満面の笑顔になって、乱菊は少年に抱きついた。
「さっすがあたしの隊長!そこらの男が束になっても敵わない男前だわ!」
ぎゅうぎゅうと押し付けられる豊かな胸の間から、日番谷は必死で顔を上げた。
「離せ!……ったく毎度毎度、手前は俺を殺す気か!」
「でも隊長、どうして急に奢ってくれる気になったんです?」
上司の言葉を綺麗に無視し、乱菊は首を傾げた。
息を整えた日番谷は、乱菊を一瞥した。
「『右近』の奥座敷に、枝垂桜があるのを知ってるか?」
「いいえ」
「古くて大きくて、昼間見たやつより、もっと赤い」
「へえ……」
「お前があの桜を氷輪丸みてぇだと言った時……ふとその枝垂桜を思い出した。お前に合わせるなら、白より赤だ。俺の氷輪丸があの白い桜なら、お前は鮮やかに赤い枝垂桜だ……ってな」
思いがけない言葉に、乱菊は目を見張った。
「……そう思ったら、お前と一緒にあの桜の前で呑みたくなった。そんだけだ」
「……隊長」
嫌ならいいぞ、と、素っ気無い口調で付け加える少年の後ろ姿は、明らかに照れており。
乱菊は思わず背後からぎゅっと抱きしめた。
「うわっ!」
「もう隊長ってば、格好良いだけじゃなくて最高に可愛ゆいんだから!」
銀髪に頬を寄せると、少年のこめかみにぴきっと青筋が立った。
「……お前、ぜってー俺を馬鹿にしてるだろう」
「とんでもない!褒めてるんですよ?それに、あたしに見立ててくれた桜に会わせてくれるなんて、とても嬉しいなぁって」
一瞬動きを止めた少年は、やがて静かにため息を付いた。
「ったく……。行くならさっさと支度してこい」
「はーい!折角ですから松本、着替えてきまーす!」
弾んだ声と共に、甘い香りとしなやかな腕が、するりと離れていく。
乱菊の霊圧が遠ざかると、日番谷は窓辺に立ち、がりがりと銀髪をかき回した。
「……ちっ、俺も甘ぇな」
それでもあの桜を見せた時の乱菊の反応を考えると、心は自然と浮き立ってきて。
暮れかけた隊首室。
そぞろな気分で外の景色に目を向けながら、日番谷は美しく装った副官が戻ってくるのを待った。
<終>
2009.05.20