08姐さんお誕生日SS
幸せの記憶
「ねぇ、隊長」
十番隊の執務室。
乱菊はくすくすと笑いながら、帰ってきた上司の頭に手を伸ばした。
見た目に反して、存外柔らかい銀色の髪の間に引っかかった枯葉を摘み取る。
「一体、いつも何処へ行ってらっしゃるんです?」
時々日番谷は、乱菊に留守を託し姿を消す。
行き先を告げず、ご丁寧に霊圧まで消して。
最も、そうして出かけるのはせいぜい二月に一度。
平和で暇な日の午後、長くても一刻と決まっているので、これまで仕事に支障をきたした事はないのだが。
――多分、どこかで息抜きをしているんでしょうけど……。
何度か行き先を尋ねたが、いつも答えをはぐらかされる。
今日も同じだった。
乱菊の問いに軽く眉を上げると、持っていた折りを彼女の手の中に落とす。
「土産だ」
乱菊の好きな、老舗の和菓子屋の包みだった。
中はおそらく、これまた彼女の好きな蕎麦饅頭と見た。
今日の留守番の駄賃。
及び、これ以上の追求封じ。
「わー!隊長、ありがとうございます!」
少し寂しい気はしたけど。
乱菊ははしゃいだ声にそれを隠し、にっこり笑った。
「お茶、入れてきますね」
「……俺のも頼む」
「了解でーす!」
***
秋の午後。
日差しの強さは未だ夏の名残を感じさせていたが、それが遮られる室内は、昼でも随分過ごしやすくなった。
「松本」
「はい?」
隊首と二人、(珍しく)書類整理にいそしんでいた乱菊は、名を呼ばれて顔を上げた。
うず高く積み上げられた書類の向こう、彼女の名を呼んだ上司は、手に持った書類に目を落としたまま、続けた。
「お前、もうすぐ誕生日だろ。何か欲しいモンはあるか?」
「……へっ?」
不意に手を止めたせいで、書類の上にぼたりと墨が落ちた。
「なに奇天烈な声出してやがる」
「……まさか隊長、何か下さるんですか?」
「そう聞こえねぇか?」
視線は手の中の書類に向けたまま。
だが、見える横顔がほんのり朱に染まっているのは、乱菊の気のせいではないようだ。
「……えーっと、隊長。何でまた急に?」
嬉しいというより、戸惑い方が大きかった。
今までこの少年からそんな申し出があった事は、一度だって無い。
「……花火を」
「はい?」
「この前の俺の誕生日……藍染や雛森と一緒に祝ってくれただろ?」
「ああ……」
言われてようやく納得した。
昨年の日番谷の誕生日。
雛森に誘われ、藍染と乱菊と三人で、祝いにと季節外れの花火を上げた。
冬の夜空に咲いた大きな光の華を、日番谷はじっと眺めていた。
『ありがとう、松本』
背中越しに聞こえた不器用な礼の言葉は、何故か乱菊の心まで温かくしたのだった。
悪戯っぽい表情になって、乱菊は組んだ手の上に顎を乗せ、首を傾げた。
「雛森に言われたんですか?『ちゃんと、この前のお返しをしとかなきゃ駄目よ』とか?」
一瞬、日番谷の動きが止まった。
どうやら、見事図星を指してしまったらしい。
「……別に、言われたからって訳じゃねぇ」
普段澄ましている年下の上司の憮然とした表情が妙に可愛くて、乱菊はくすりと笑った。
「何もいりませんよ。隊長のそのお気持ちだけで、十分です」
そう言うと、初めて日番谷が書類から顔を上げた。
翡翠色の瞳を見張り、あからさまに驚いた表情をしている。
「……松本。お前、どっか体悪ぃのか?」
「いいえ?至って健康ですけど」
「さもなけりゃ、変なモン拾い食いしたか」
「拾い食いって……ちょっと隊長、さっきから何失礼なこと言ってるんです!?」
「だってまさかお前の口から、誕生日プレゼントがいらねぇなんて台詞が出るとは……」
貰えるものにはとにかく貪欲なこの副官が。
「お言葉ですが隊長。あたし、今まで自分から積極的にプレゼントを要求した事なんてありませんよ。……まぁ、持って来てくれたものは、大概貰っちゃってますけど」
肩を竦めて言われ、日番谷はそういえば、と思い返す。
バレンタインだハロウィンだクリスマスだと、現世の行事には敏感に反応して大騒ぎするくせに、この九月にそうした騒ぎを聞いた覚えがない。
一年で一度、自分だけが特別な日。
彼女ならば、誰よりも声高々と主張しそうなものなのに。
そんな疑問が顔に出たのかもしれない。 僅かに苦笑して、乱菊は目を逸らした。
「……あたしの誕生日って、正確には、誕生日じゃないんです」
「……何?」
「確かに、『生まれ変わった日』といえばそうなんですけど。けど、大々的にこう、『誕生日』って言いふらすのも、何だか気が引けるというか、悔しいっていうか」
意味が分からず、日番谷は眉を寄せた。
「あ、でも」
思いついた弾みで、ぽんと乱菊は手を打った。
「プレゼントはいりませんけど、隊長が時々霊圧消して何処に行ってるのか知りたいなぁー、なんて……」
途端に、日番谷の表情が曇った。
しまった、と後悔した時にはもう遅かった。
職務に真面目な日番谷が、唯一続ける彼らしからぬ行動。
それは即ち、よほどの理由か必然性を抱えている証だと、そう、分かっていたのに。
「あ……隊長、冗談です、冗談!忘れて下さい!」
慌てて言い繕いながら、乱菊は立ち上がった。
「休憩にしましょ!美味しい栗羊羹があるんですよ。あたし、お茶淹れてきますねー!」
彼の返事も待たずに、逃げるように給湯室に向かった乱菊の背を目で追って、日番谷は小さくため息を付いた。
***
長月の二十九日。
瀞霊廷の上空は、朝から綺麗に晴れていた。
この十日で、しつこかった夏の暑さも漸く取れた。
爽やかでどこか甘みを含んだ空気が、秋の到来を感じさせる。
「松本、外出する。付いて来い」
日番谷に突然そう言い渡されたのは、昼休憩を終え執務室に戻ってきた途端だった。
「緊急の召集ですか?」
驚いて問い返した乱菊に、少年は首を振った。
「違う。ちょっと付き合え」
「……えっと、いいんですか?あたし、今日仕事殆んど進んでませんけど」
朝から十番隊の執務室は、千客万来だった。
「らんちゃーん!おたんじょうびおめでとー!!」
大きな金平糖の袋を抱えて飛び込んできた隣の隊の副隊長を皮切りに、雛森や七緒といった他隊の親しい女性死神達が、書類や回覧といった理由をつけては、かわるがわる乱菊の元へと祝いを述べにやって来た。
昼は昼で、十番隊の女性席官達がお祝いだと昼食に誘ってくれたので、いつもより少し長めに休みをもらい、外で豪勢な昼食を堪能してきたばかりだった。
因みに、夜は恋次や修兵、吉良達からの奢りが決まっている。
そんなこんなで、さすがに午後は少し真面目に仕事をしないと隊長の視線が痛いな、と、思っていた矢先だったのだ。
既に立ち上がり戸口に歩き出していた日番谷は、振り返って苦笑した。
「今更、だろうが」
そう、 これは毎年の事だ。
顔が広く面倒見の良い乱菊は自隊他隊男女問わず人気があり、彼女の『誕生日』には、様々な人が祝いや贈り物を持ってやって来る――本人が、要求するまでもなく。
そして乱菊の方も、誘われたり渡されたものを断ることは無い。
だが、いつもこの騒ぎを苦々しい顔で見ていた筈の日番谷の態度だけが、今年は違う。
執務室を出た日番谷は、席官室を覗き三席に留守を頼むと、さっさと隊舎を出た。
白い羽織を脱ぎ氷輪丸を担ぎ直すと、大路を足早に真っ直ぐ南へと進む。
だが暫くして脇道へと曲がると、小走りになり次々と辻を折れ複雑な経路を辿り始めた。
道は次第に細く、人気もなくなっていく。
「……あの、隊長。何処へ向かっているんです?」
小さな黒い背中を追いながら、乱菊は我慢できなくなって尋ねた。
既に彼女には、正確な現在地すら分からない。
「……このルートが、一番目立たねぇんだ」
「はっ?」
「いいから付いて来い」
その言葉が終わるやいなや、目の前の死覇装の背中が消えた。
いや、消えたのではなく。
「ちょ……!瞬歩まで使う!?」
屋根に飛び乗り、既に五間程先を走る少年の背を、乱菊は訳が分からぬまま慌てて追ったのだった。
***
「お前、訓練不足なんじゃねぇの」
小高い丘の上に広がった雑木林。
ひときわ太い木の、天辺近くの枝の上。
腕を組み幹にもたれた姿で、日番谷は追いついてきた副官を迎えた。
「……ち、昼食を……たらふく食べた直後に全力疾走すれば……誰だってこうなると思いますけど!?」
痛む胃を押さえながら息を整える副官に、日番谷は呆れた表情で告げる。
「食い過ぎだ」
「今日だけです!」
「……その言葉、忘れるなよ」
肩を竦めた日番谷は、乱菊から視線を外し眼下へと向けた。
やっと落ち着いた乱菊も、枝に腰かけ少年の視線を追った。
「あら、ここって……」
見下ろした先に、見慣れた建物がある。
「霊術院の裏山だったんですね」
複雑なルートで、それも裏側から登ったせいで、今の今まで気付かなかった。
「けど、院生だった頃も、ここには来た事無かったわ……」
「皆、意外と知らねぇんだ」
見ろ、と言って、少年の指が霊術院の右手奥を指す。
「わあ!見晴らしいいですねー!」
大きいもの、小さいもの、 連なった屋根屋根と塀が、視界一面に広がっていた。
風に広がる金髪を押さえながら、乱菊は隣を振り返った。
「……ここだったんですか?隊長が時々来ていた場所」
あの日以来、今日まで彼女の誕生日に関して二人の間で話題に上ることは無かった。
余計な詮索をしてしまったと後悔していた乱菊は、正直ほっとしていたのだが。
「……あそこに居た頃は、嫌な事があるとよくここへ来た」
眼下に目を向けたまま、日番谷は静かに口を開いた。
「護廷に入隊して……特に隊長になってからはそうちょくちょく来れなくなったが、それでも、どうしてもここに来たくなる時がある」
「確かに、いい眺めですもんね」
何の気なしに打った相槌だった。
だが、相手は何故か躊躇う様に黙り込んでしまった。
「……隊長?」
「……ここの景色……似てるんだ」
「えっ?」
「屋根の数とか大きさとか全然違うのに……似ているように見えてしょうがねぇ」
「一体どこと似ているっていうんです?」
「……だからその……ばあちゃん家の……裏山からの眺めに、だ」
渋々と押し出された言葉に驚いて、隣を向く。
途端にそっぽを向いた彼の耳が、赤い。
乱菊は思わず笑み崩れ、日番谷の頬に手を伸ばした。
「やーん、隊長可愛いー!」
「……っ!だから言うの嫌だったんだよっ!」
頬を突っついてくる乱菊の手を払いのけて、日番谷は叫んだ。
全く、恥ずかしくて仕方ない。
ホームシックにかかった時に来る場所だなんて、告白するのは。
「そんな大切な場所を教えてもらえるなんて、光栄です」
笑いの残った声で告げる乱菊を、日番谷は横目でじろりと睨んだ。
「……お前が、知りたがったからだ」
「えっ?」
「俺がいつも何処に行ってるのか、知りたがってたろ。だから教えたんだ」
――お前の、誕生祝いに。
付け加えられた一言に、乱菊は目を見張った。
「上手く言えねぇが……」
少年はがりがりと銀髪をかきむしりながら、続く言葉を捜していた。
「……ただ俺は、お前の誕生日を祝いたかったんだ」
あの花火を見上げた時、心に小さな火が灯ったような気がした。
ほんのりと温かくて切ない――それは多分、『幸せ』と呼ぶ気持ちだった。
それをこの女にも味わわせてやりたいと思ったのだ。
明るくて華やかで図々しくて逞しくて……その実、心の底に孤独を埋めている、この松本という女に。
「隊長……」
「悪ぃな。俺の……自己満足だ」
結局、そう言うしかなくて。
こんな時、日番谷は自分の言葉の足りなさに自己嫌悪する。
「……いいえ」
そっと袖が引かれ振り返ると、乱菊が自分の袖を握っていた。
「隊長、あたし……本当は自分の誕生日なんて、知らないんです」
「……」
「今日は、ギンと……市丸隊長と会った日なんです。空腹で死にそうになってたあたしを、あいつが拾ってくれた日」
さっきまでの彼と同じ様に霊術院を眺める松本の横顔を、日番谷は見つめた。
「あの時、あいつが居なければ、あたしはきっと死んでいました。だから、確かに今のあたしが生まれた日と言えばそうなのかもしれないんだけど、けど……。『あたしの日』だと断言するのは、どこか違う気がずっとしてて」
でも、と言って、乱菊は振り返った。
空色の目が、日番谷を捉えて微笑む。
「違ってても何でも……あたし、『誕生日』があって本当に良かったなあって、今、思いました」
――ああ、伝わった……。
その笑顔を見た途端、そう思った。
生まれてきたことを、そして出会えたことを、自分以外の誰かに祝われる、幸せ。
あの日、冬の夜空に咲いた華を見上げて、初めて日番谷が感じた想い。
言葉では上手く言えなかったけれど、 同じもので包んでやりたいと望んだ気持ちは、確かに彼女に伝わったのだと思った。
「誕生日…おめでとう、な」
そっと告げた少年に、乱菊は破顔して抱きついた。
「ありがとうございます、隊長!」
柔らかく甘い秋の風が、二人の死覇装の裾をはためかせて去っていった。
<終>
2008.09.30