この当時のMY設定としては、
隊長は元・一番隊隊士で、才能ゆえ総隊長に目をかけられており、やがて卍解会得。
ちょうど十番隊隊長職が空いたため就任した……という流れを考えておりました。
2013.07.01追記
注:
旧十番隊メンバーが判明する前に書いたお話です。
現状と設定が異なりますのでご注意下さい。
居酒屋雑話
暖簾をくぐった店内に知った霊圧を感じ、京楽は首をめぐらせた。
「おや」
「あら、京楽隊長」
「珍しいねぇ。独りかい?」
「ええ」
「向かい、いいかい?」
「どーぞどーぞ」
屈託ない笑顔を向けられ、じゃ遠慮なく、と、座布団を引き寄せる。
座って襟元を緩め笠を外すと、机の上に猪口と箸と先付が並んでいた。
「ぬる燗で良ければ」
銚子を持ち上げる相手に、やや、ありがとう、と言って猪口を持つ。
並々と注がれた命の水を一口に啜れば、口当たりの良い酒精が喉を滑り落ちた。
「旨いねぇ。これ、松本君のお気に入りかい?」
「ええ。京楽隊長にはちょっと軽いかもしれませんけど、後味がいいでしょ。この店しか置いていないんですよ」
京楽からの返杯を、一口に飲み干し艶やかに笑んだのは、十番隊副隊長・松本乱菊。
机の上を見れば既に三本は空けているはずなのだが、表情にも言動にもそれを伺わせるものは一切無い。
「こりゃあ知らなかった。ここにはちょくちょく来るのに」
瀞霊廷内の高級料亭が立ち並ぶ一角。
大路から一本入った場所にひっそり暖簾を掲げるこの店は、酒飲みの中でも知る人ぞ知る隠れ家的な店だった。
酒も肴も大層美味いが、平の死神が仕事帰りに気軽に寄れる値段ではない。
奥の座敷を借りようものなら、隊長格でも襟を正さなくてはならない。
畢竟、店はいつも静かで、京楽はゆっくり酒を飲みたい時などよくここへ寄る。
「主の知り合いが、本筋の酒造とは別に趣味で作っている酒だそうで、量がないんですよ。だから、知っている客が注文した時にしか出さないんです」
「成程ね。松本君も随分とここの馴染のようだねぇ」
「ええ、まあ」
軽く肩をすくめて、乱菊は答えた。
「隊長が……前の隊長が、昔、教えてくれたんですよ」
「……ああ。彼も相当呑み助だったからねぇ」
三ヶ月前、十番隊隊長は虚討伐の最中、大怪我を負った。
一命は取り留めたが霊圧の損傷が激しく、隊長職に復帰する事は叶わなかった。
十番隊隊長職は山本総隊長の一時預かりとなり、日々の実際の業務は副隊長の松本が仕切るという形で今日まで来た。
だがその変則的な形も、もうすぐ終わる。
「そう言えば、おめでとうと言わなくちゃね」
「はい?」
「十番隊の新隊長さん、決まったでしょ?」
「……えぇ」
熱意の無い声に、京楽は首を傾げた。
「あれ?そのお祝いで飲んでいたんじゃないの?」
全隊への正式な通達は数日後になるが、各隊隊長職と十番隊の副隊長である松本には、既に内示があった。
十番隊の新隊長の名は、日番谷冬獅郎。
名刀との噂高い斬魄刀・氷輪丸を持つ『天才児』だ。
てっきり、『やっと肩の荷が降ろせるわー』と笑顔をみせるかと思った目前の美女は、逆に憂いを含んだ表情でため息を付いた。
「……どちらかというと、逃避と自棄酒?」
「そりゃあ穏やかでないねぇ」
「まぁ確かに、卍解したてであの年じゃ、松本君が不安になるのも無理ないと思うけど、ね」
白い喉を見せて一息に干した乱菊の猪口を再び満たしながら、自分もちびりと飲む。
「隊首試験に立ち合った限りじゃ、心配なのは年齢だけで、実力も風格もなかなかに備えた子だと思うよ?」
「……確かにその不安もありますけど、そうじゃなくて」
「うん?」
言い淀んだ乱菊に、京楽は少しずつ猪口を傾けながら、続きを待った。
暫くして乱菊の口から零れたのは、意外な言葉だった。
「実は昔……日番谷……隊長に会った事があるんですよ」
「……へぇ、それは初耳だ」
「潤林安でした。立ち寄った甘味屋で、店主に邪険にされてて……。それ見たら腹が立って、店主に怒ったんですよ。ついでにその子にも『泣くな』って言ったら、実は泣いてなくて」
「おやおや」
迫力あるこの美人に怒鳴られ驚いている店主と、『泣いてねぇよ!』と勝気に言い返す少年の図が脳裏にまざまざと思い浮かび、思わず笑みがこぼれた。
乱菊も肩を竦め、『あの頃はあたしも若かったんですよ』と、苦笑した。
「で、その時にね、声が聞こえたんです」
「声?」
「彼の中から、獣の咆哮のような声が」
京楽は片眉を上げた。
「……もしかして、霊圧が?」
「ええ。暴れていたんだと思います。閉じ方すら分かっていなかったようですから。夜……特に眠っている時なんか、外に漏れ放題でした。……で、あたしは言ったわけです。『ぼうや、死神になりなさい』って。『あんたは力の扱い方を知る必要があるから』って」
そう言って乱菊は猪口を持ち上げた。
「それから暫くして霊術院に出向く用事があったんです。そしたら、最近入った子でべらぼうに強い霊圧を持った少年がいるって聞いて。もしかしたらって思って物陰から覗いたら……」
「日番谷君だった、と?」
「……そうなんです」
再び大きなため息を付くと、乱菊は猪口を呷った。
京楽はそんな彼女をじっと見つめ、やがて肩を竦めた。
「死神として、君は彼に適切な助言をした。そのまま放っておいたら、早晩霊圧の暴走で人死にが出たかもしれないから、ね。なのに、何故そんなに落ち込んでいるんだい?」
乱菊は、長く伸びた金髪をかき上げた。
「……あの頃、あたしはまだ護廷に入隊して日が浅くて……この仕事の全てが輝いて見えてたんですよ。だからあの子にも、何の迷いも無く『死神になれ』って言ったんですけど……」
猪口の縁をそっと指で辿る。
「死神の……裏も表も知り尽くした今になって思うんです。あの助言は正しかったのかなって」
「あぁ、そうか」
乱菊の話を聞いていた京楽は、ふっと表情を緩め、言った。
「君は怖くなったんだね?彼の一生を、自分の一言が決めてしまったんじゃないかって」
乱菊は一瞬息を止め……やがてゆっくりと吐き出した。
「……えぇ」
死神にならなくても、霊圧の制御方法は学べる。
彼にはそのまま流魂街で暮らす手もあった。
乱菊の居た場所と違い、儒林安はちゃんと働けば生きていくことが出来る場所だ。
瀞霊廷ほど恵まれていない反面、死神にはない自由もある。
だがあの時、乱菊は冷めた表情の少年に言ったのだ。
『死神になりなさい』と。
そして彼は死神になった。
自分の一言が、赤の他人の一生を左右する。
『これ、食べ』 あの日差し出された一粒の干柿が、今の自分を形作ってしまったように。
考えれば考えるほど、それは恐ろしいことに思えた。
火鉢の上の鉄瓶が、しゅんしゅんと湯気を吐き出していた。
「運命、だね」
鉄瓶の音を聞くとはなしに聞いていた乱菊は、向かいの男がぽつりと呟いた言葉に視線を上げた。
「……運命、ですか?」
「そう。運命。ボクには、彼の運命が松本君の口を借りて言わせたような気がするよ。『死神になれ』ってさ」
手の中の猪口をくるりと回して、京楽は続けた。
「けど、運命ってのは示されるだけ。それに乗るか蹴るかは本人次第でしょ?それを他人が自分のせいだって思うのは、驕りだよ」
さらりと言われ、乱菊は一瞬目を見張った。
「……そう、ですね。……あーっ!もうっ!!」
くるりと振り返り、乱菊は銚子を持ち上げた。
「大将!おかわりっ!」
全く、何をらしくないこと考えていたのだろう。
例え始まりが、きっかけが、どうであったとしても。
今、ここに『松本乱菊』として立っているのは、乱菊自身だ。
あの干柿を受け取り、共に暮らし、霊術院の門をくぐり……。
毎日数限りない『運命』の選択肢を選んできたのは、自分自身。
であれば、あの少年にとってみても、それは同様のはず。
自分の言葉に流されたと思うのは、酷く失礼なことだ。
「選択が正しかったのかどうか分かるのは自分だけで、それも、本当に判断できるのは死ぬ瞬間だけかもしれないけど……」
追加の酒を注がれた猪口に口をつけ、京楽はにっこりと笑った。
「傍目に見て、彼の場合、死神になったのは正解だったと思うよ?霊術院を飛び級できるほどの才能に恵まれ、氷雪系最強の呼び声高い氷輪丸を持ち、護廷に入隊して最短の日数で隊長職に就く。端から見たら間違いなく成功者だ」
「……ああ、そうですね」
「おまけに、副隊長は美人だし」
片目を瞑って続けられた言葉に、乱菊はぱちりと瞬きし、次いで妖艶な笑みを浮かべた。
――ああ、漸く彼女らしい表情が戻った。
京楽にとって、乱菊は陽気に酒を酌み交わせる貴重な飲み仲間だ。
彼女の元気が無いと、酒の旨味も半減する。
「いやだ。京楽隊長って、口説き上戸でしたっけ?」
「まだ酔うほど飲んじゃいないよ。本音だよ、本音」
「あんまり調子の良い事仰ると、七緒に言いつけますよ?」
「それもいいねぇ。七緒ちゃんが嫉妬してくれたら、ボクもまだまだ脈ありってことだよね?」
京楽のおどけた口調に、乱菊は吹き出した。
軽くなった銚子を持ち上げ、京楽は相手と自分の猪口を満たした。
「改めて乾杯しないかい?十番隊の、新隊長さんに」
「はい」
猪口を掲げた京楽に合わせ、乱菊も猪口を持ち上げる。
「様々な選択肢の果てに、我らと出会ったあの少年に」
「彼があたしにとって、いい上司となることを祈って」
にっと笑いあって、二人は一際高く猪口を掲げた。
「乾杯」
<終>
2008.02.27