随分遅れてしまった、隊長のお誕生日SS。
日番谷隊長は十番隊みんなに愛されていると良いと思います。
冬の華
その日、日番谷冬獅郎は朝から妙な居心地の悪さに悩まされていた。
「おはようございます」
「おはよう」
「隊長、おはようございます!」
「おう、おはよう」
行き交う度に交わされる挨拶。
いつもと変わらぬ朝の風景。
だが、何かが違う。
それは例えば、廊下の先で額を合わせて話しこんでいた隊員達が、日番谷を見た途端に口を閉ざす様子だったり、挨拶をした彼らが、更に何かを言いたげで、なのに、日番谷が視線を向けるとふっと逸らしたりする様子で。
最初は、自分の格好がどこかおかしいのかと、硝子に映った姿を確認してみたのだが、どうやらそういう訳でもなさそうだった。
――気のせいか。
最近、外での隊務が重なり忙しかった。
自分で思ってる以上に実は疲れており、神経が過敏になっているのかもしれない。
――うん。きっとそうだ。
違和感を訴える六感をそう理性で宥めて執務室へ向かった日番谷は、ある事に気付いて唐突に足を止めた。
「まさか……嘘だろ?」
思わず呟いて、再び歩き始める。
足は自然と早くなった。
押さえ込んだ筈の違和感は、今や最高潮に達していた。
瞬歩一歩手前の速度で執務室に辿り着くと、日番谷は勢い良く扉を開けた。
霊圧で居ることは分かっていたが、実際この目で見るまで信じられなかった金髪の女が、顔を上げた。
「あら隊長、おはようございます」
にっこり笑んだのは、間違いなく彼の副官・松本乱菊だった。
「……お前、一体どうしたんだ?」
「どうしたって、何がです?」
普段ぐうたらで怠惰なこの女が。
残業も早出も嫌いだと、公言して憚らないこの女が。
「何で、就業時間前から仕事してんだよ」
天変地異の前触れかと危ぶんだ日番谷の表情を読んだのか、松本が小さく膨れる。
「やだなぁ、隊長。あたしだって、やる時にはやるんですよ?」
「だから、何で今日がそのやる気の開放日なんだよ」
「だって、それは……」
言いかけた松本の視線がふっと逸れる。
一瞬、笑った様に見えたのは気のせいだろうか?
「松本?」
「いえ」
視線を戻して、松本は咳払いをした。
「実は、今日は終業時間が来たらすぐに上がりたいので、早目に片付けようかと」
「……随分殊勝な事を言うじゃねぇか」
仕事が残っていようといまいと、帰りたい時はいつも日番谷に押し付けて帰るくせに。
「だって、さすがにこの量だと隊長一人じゃ可哀想だし」
松本が、自分と日番谷の机を指し示しながら言う。
このところ合同訓練やら急な現世出張が重なり事務処理が後回しになっていたため、十番隊には珍しく、二人の机には少なからぬ量の書類がたまっていた。
「まあそういう訳ですから。隊長、頑張りましょう!」
「……おう」
心の片隅でひっかかるものを感じたが、いつになくやる気を出している副官の気を殺ぐ理由もないと、日番谷はそれ以上の詮索を放棄し、自身の机へと向かった。
***
朝、小山を成していた書類は、定時前に綺麗さっぱり片付いていた。
「終わりましたねー」
両手で湯飲みを包み込みながら晴れやかな表情で言った松本に、同じく茶を飲みながら日番谷は肩をすくめた。
「誰かが毎日こんな風に真面目に働いてくれりゃ、俺も楽なんだけどな」
いつものぐうたらな様子はどこへやら、今日の松本は休憩も殆んど取らず、てきぱきと仕事をこなした。
おかげで、普段だったら残業付きで丸二日かかる量の決裁書類が、一日で済んだ。
松本が、あははと明るい声で笑った。
「たまだからいいんじゃないですか。これが毎日だったら、ありがたみも何もなくなっちゃうでしょ?」
「仕事ってのは普通そういうもんだろうが」
返す小言が軽いのは、やはり書類が全て終わり、気持ちに余裕があるせいだ。
「それにしても……今日は落ち着かねぇな」
殆んど一日、執務室から離れることのなかった日番谷だったが、それでも隊員達の霊圧がざわついているのを感じていた。
不意に、朝の廊下での出来事を思い出す。
――何なんだ、一体。
不思議そうな日番谷の表情を見て、松本は苦笑した。
「まぁ、今日は見逃して下さいな」
「……松本?」
明らかに事情を把握している様子の副官に、眉を顰める。
「どういう意味だ?」
そう問いかけた時だった。
「失礼いたします。松本副隊長」
執務室の外から、七席の竹添の声が響いた。
「いいわよ。入って」
入室した竹添は、日番谷に一礼してから松本に向かって、「準備終了であります!」と報告した。
「ご苦労様。――さて、と」
立ち上がった松本は、日番谷を振り返った。
「じゃあ隊長、行きましょうか」
「……どこへだよ。おいお前ら、一体何を企んでいる?」
警戒心もあらわに眉間にくっきり皺を刻んだ上司に、松本と竹添は顔を見合わせた。
ぷっ、と松本が吹き出す。
「やだ、隊長。まだ気付いてないのね。まぁいいから来て下さいな。……西の、修練場に」
***
暮れ六つ前だというのに、空にはもう宵の帳が降りていた。
漏れ出る息が白い。
そんな中、辿り着いた修練場の中庭には、大きなたき火が焚かれていた。
「あ、隊長だ!」
誰かの声で、人々の視線が日番谷に集まる。
見れば、十番隊の隊員の殆んどがこの場に終結していた。
一様に咲いた、笑顔、笑顔、笑顔。
「隊長!」
「お誕生日、おめでとうございます!」
「おめでとうございます、隊長!」
「…おう。ありがとさん」
恥ずかしさを誤魔化すように、日番谷はマフラーに顔を埋めて礼を言った。
西の修練場と聞いて、初めて気付いた。
今日は師走の二十日。
日番谷の誕生日なのだ。
隊員達の様子がおかしかったのも、松本があらぬ有能さを見せたのも。
そう、全てそのためだったのだ。
「いやぁ、やっと隊長におめでとうと言えて、嬉しいですねー!」
「ほんと。今日一日、隊長の顔を見るとムズムズしちゃって」
日番谷をびっくりさせようと、十番隊では師走に入ってから『隊長の前での誕生日ネタは禁止』になっていたらしい。
「副隊長が、『隊長は、話題に触れなければ絶対当日まで忘れているから、大丈夫!』と仰ってましたが、本当にその通りでしたね」
「ふふっ、まあね。その辺りの隊長の考え方なら、分かっちゃうんだもんね」
部下に胸を張る松本に、
「止めろ、恥ずかしい」
とため息を付く。
「冬獅郎―!」
名を呼ばれ、日番谷は上を仰いだ。
屋根の上から笑顔で手を振っているのは、浮竹だった。
その隣には、徳利を抱えた京楽までいる。
「……あんたら、そこで何してんだよ」
「何って、決まってるだろう。君のお祝いさ」
上がりましょうと松本に促され、日番谷は軽く弾みをつけて屋根へ飛び乗った。
にこにこと手招きする浮竹に近付くと、大きな風呂敷包みを渡される。
「冬獅郎、誕生日おめでとう。少しだけど祝いの菓子だ」
「………ありがと」
重箱三段はありそうな包みを複雑そうな表情で受け取ると、松本がひらけた西の空を指した。
「ほら、始まりますよ」
ドン、と腹に響くような音がした。
皆が注目する中、一拍置いて空に大きな華が咲く。
「……でけぇな」
通常の二倍近くはありそうな花火に、日番谷は思わず目を見張った。
「特注なんですよ。でも注目は次」
へぇ、と呟き、空を注視して待つ。
しばらくして上がった二発目は、珍しいことに文字の浮き出る花火だった。
“日番谷隊長”
“お誕生日”
“おめでとうございます!”
夜空にくっきりと描かれた文字に、わっと歓声が上がる。
「よっしゃー!さすが空鶴印!」
「隊長ばんざーい!」
その後も普通の花火に混じって、隊員達のメッセージが次々と上がった。
「いい部下達だねぇ」
日番谷に酒を勧めながら、楽しそうな十番隊の隊員達を見下ろし、京楽は笑んだ。
「ああ。俺の自慢だ」
言い切る日番谷に、京楽は猪口を掲げてみせた。
「いい答えだね」
「隊長、あたしも!?あたしも自慢!?」
背後から抱きついてきた松本に、
「今日みてぇに真面目に仕事してくれるならな」
空に目を向けたまま答えると、
「それは無理ですって」
と即答される。
「何が無理だ。やりゃあ何だって出来るくせに」
一瞬、驚いたように松本の腕が緩んだ。
「……びっくり。隊長からそんな言葉が出るなんて」
その時、下から数人の隊員が手を振ってきた。
「隊長ー!副隊長ー!そろそろとっておきが出ますから、ちゃんと見ていて下さいねー!」
「はーい!見るわよー!」
松本が笑顔で手を振り返して空に目を戻した、途端。
ドン、ドンと、二連発で花火が打ち上がった。
“隊長 副隊長”
“お二人でいつまでもお幸せに!”
「なっ……!」
「あはは!素敵ー!」
「てめぇか!あんなこっぱずかしいモン上げさせたのはっ!」
「違いますよぅ。あたしだって知らなかったんですから。うちの子達からのメッセージでしょ。ちゃんと分かってるわねぇ、みんな」
拳を震わせて立ち上がろうとする日番谷をぎゅっと抱きしめて、松本はこちらを見上げている隊員達に『サイコー!』と手を振った。
「君達、そういう仲だったのか?」
驚いた様子の浮竹に、
「違うっ!」
「実はそうなんでーす!」
同時に正反対の返事をする。
その息ぴったりのタイミングこそが一層の疑惑をもたらすのだと、日番谷は気付いていなかった。
「まぁまぁ隊長、怒らない怒らない」
「離せっ!」
副官の豊かな胸の谷間から逃れようともがいていると、不意に、彼女の呼気が頬を掠めた。
「隊長」
囁くように呼ばれ、日番谷は思わず抵抗を止め、副官の顔を仰ぎ見た。
空色の瞳が、至近距離から彼を見ていた。
「本当は、雛森も誘ったんですけど……まだ、花火もこの場所も辛いみたいで、断られちゃいました」
――ごめんなさい、隊長。
視線を落とした松本の顔は――こんな事を言ったら、本人は絶対怒るだろうが――少しだけ、婆ちゃんに似ていると思った。
日番谷は体の力を抜いて、夜空へと目を向けた。
「……仕方ねぇさ」
――自分達は、この花火のようだ。
あの時、そう思った事を覚えている。
昇り、輝き、やがて必ず散っていく、鮮やかで儚い……夜の華。
ならばせめて、最後の瞬間まで光り輝いていよう――そう、誓った事も。
「……松本」
また一つ、新たに打ち上げられた華の明るさに、目を細める。
「ありがとう、な」
後ろの温もりが動き、小さく笑う気配がした。
「……はい。お誕生日、おめでとうございます、隊長」
***
抱きしめているつもりだった少年。
しかし気付けば彼は身を起こしており、その背に松本の方がよりかかる格好となっていた。
白い息の間から、次々と上がっては散っていく花火を見上げる。
かつて、誕生日をくれた男がいた。
そいつは、この屋根の上で誕生日を知ってる幸せについて語った男と共に、自分達を裏切って、去っていった。
けれど。
松本は、そっと視線を落とした。
花火と同じ、白い光を帯びたような白銀の髪。
今、自分の腕の中には、誕生日を祝う事の嬉しさを教えてくれた人がいる。
どうか来年も再来年も、百年後も。
今日という日を再び、笑って、共に祝う事が出来ますように。
祈るように見上げた夜空に、一際大きな花火が咲いた。
<終>
2007.12.30