千重の一重



目指した食堂は、大通りから少し外れた路地の奥にあった。
目立たぬ場所にもかかわらず、近付くにつれはっきりとした喧騒が伝わってくる。
それに吸い寄せられるように店に入った少年と青年は、周りをぐるりと見回した。
混み合った店内の隅に辛うじて空席を見つけると、客の間を縫うようにして近付き、腰を下ろす。
程なく、近くの卓子つくえに料理を運んできた店の若者が、二人の方へと寄ってきた。

「よお、久しぶりだな」

若者が親しげに声をかけたのは、布でぐるりと頭を巻いた少年の方だった。
緑の瞳が鮮やかな少年は、くっと顎を引いて、ああ、と、ぶっきらぼうな挨拶を返した。

「いつものやつでいいか?」
「うん」
「こっちの兄さんは?」

視線を向けられた本人より早く、少年が再び口を開いた。

「同じのでいい。ただし飯は大盛、包子は3皿で」
「あいよ。……つうか毎回思うんだけどさ、あんたももう少し食べた方がいいぜ。成長期だろ?もっと背ぇ伸ばさねぇと、女の子にもてねぇよ?」

腰に手を当て心配そうに見下ろしてくる相手に、少年は苦笑した。

「ありがとう。だが、元々少食なんだ」

若者は肩を竦めると、厨房へと戻っていった。

「……すっかり馴染みのようですねぇ」

二人のやりとりを黙って聞いていた青年――桓堆は、面白半分呆れ半分といった表情で呟いた。
少年姿の陽子は、慣れた仕草で腰の剣を外し、卓子に立てかけた。

「堯天に来る度に立ち寄っているのは事実だな。ここの包子は本当に美味しいから。といっても、早々降りてこれる訳じゃないから、せいぜい三月に一度なんだけど」
「何年通ってらっしゃるんですか?」
「さぁ……かれこれ三年くらいかな?」
「ああ、道理で……」

得心がいった様子の桓堆に、陽子は笑って頷いた。

「そうなんだ。成長期の割にあまり変わらないから、同じ『男』として心配されたらしい」
「……相変わらず男装が板についておいでで」

あの若者の様子だと、背が伸びないことで不審感を持たれる事はあっても、先に性別から違和感を持たれる事は無さそうだ。
確かに今の慶のまつりごとにおいては、たおやかで楚々とした女王より、陽子のように性を感じさせない性質の方が有利なのかもしれない。

――だが一人の女性として、それはどうなのか。

密かに心配した桓堆の目前で、当の本人はというと、

「お忍びには便利だろう?」

と、片胡坐をかいてくつくつと笑っている。
王宮にいれば間違いなく女御達に見咎められる行儀だ。
だが、この下町で、少年の姿をした今の状態だと、恐ろしいほど違和感がない。

「……ああ、だけど」

陽子が不意に眉を寄せた。

「たまに女だってバレてしまう事があるんだよな」
「へぇ……そうなんですか?」
「うん。そういえば、大概浩瀚といる時なんだけど」
「……はっ?」

さらりと出た名前に、桓堆は思わず間抜けな声を上げた。

「いつもと同じ格好をしてるのに、どうしてか『小姐おじょうさん』って呼ばれたりするんだよなぁ……」

何でだろう、と、首を捻る主の表情は至って真面目で、本心から訝っているのが伝わってくる。

――そう、決して意識的な『惚気のろけ』ではないのだ。

だが、と、桓堆はむずむずする口元を隠すために俯いた。
意図した惚気より無意識の惚気を聞かされた方が数倍恥ずかしい。
先刻の心配は、全く杞憂だったようだった。
少なくとも、この恐ろしく男装の似合う女王様は、かの方の前では多少女性らしくなるらしい。
……少なくとも、他人から見てそれと分かる程には。

かりっと、痒くもないこめかみをかいて、桓堆は頭を下げた。

「何と言うか……ごちそう様です」
「? 食べるのはこれからだろう?」

ちょうど運ばれてきた料理の湯気越しに、陽子は不思議そうに目を瞬かせた。




                                                                          <終>


                                                                     2010.10.15

千重の一重……氷山の一角の意

  

 

go page top