『恋々歌』様4周年記念企画『第2回浩陽祭』投稿作。
真夏なのに、真冬の話なのはご愛敬という事で……。
六花の褥
内殿の端近くにある一室。
目当ての堂室に滑り込むと、浩瀚は静かに扉を閉めた。
普段使われていない堂室は、掃除こそなされていたが物が殆ど無く、そっけないほどがらんとしていた。
浩瀚は、榻の隣に立てかけられていた衝立を広げると、その陰に置かれていた火鉢に炭を活け、懐から取り出した火打ち石で火を点けた。
己の吐く息が白い。
人気のない堂室は、外の気温とほぼ変わりなかった。
ここで今から落ち合う御方は酷く寒がりだ。
彼女が来るまでに、少しでも堂室を暖めておきたかった。
炭火が熾ったのを確かめると、浩瀚は窓辺へと立った。
薄暮の中、庭院に積もった雪が明るく輝いている。
久方ぶりの逢瀬だった。
このところ、お互い多忙を極め、ほんの少しの忍び逢う刻すら捻出できない日々が続いていた。
無論、朝議や奏上で日に何度も顔を合わせる機会はあるし、公的な会話も交わす。
しかし、それだけでは心の全てを満たす事は出来なかった。
――いつの間にか、随分と欲張りになったものだ……。
波璃窓を白くけぶらせながら、浩瀚は苦笑した。
想いを通わせる前は、ただその姿を拝見するだけで、冢宰として傍らにあるだけで、満足できていたというのに。
だが今朝、朝議が終わった後にそっとこの逢瀬の可否を耳打ちした時、頷いて自分を見上げた緑瞳の中に、躊躇いや恥じらいと共に甘い熱が掠めたのを、浩瀚は見逃さなかった。
二人きりの時間を欲していたのは自分だけではない。
その想いは、浩瀚の胸の奥に疼くような幸福感をもたらした。
見るとはなく眺めていた視線の先で、夜が迫ってきた空は急速にその明度を落としていった。
この後再び戻る筈の冢宰府や主の執務室の辺りでは、そろそろ灯りを入れる時分だろう。
しかし降り積もった雪は未だ十分な光を放ち、窓辺を照らしていた。
ここに人目に付く灯りを点す気の無い浩瀚にとっては、ありがたい事だった。
土の色、下生えの常緑樹の緑、南天の赤に、木肌色。
夏ほど賑やかではないにしろ、意外に色に満ちている冬の庭院を、厚く積もった雪は白一色に染め上げ、均してしまっていた。
――まるで、臥牀のようだな。
ふと思った途端、浩瀚の脳裏に待ち人の姿が浮かぶ。
彼女をこの輝く雪の褥に横たえたら、どれほど映えるだろう。
散らばった紅の髪、しっとりと艶を含んだ小麦色の肌、潤んだ翡翠の瞳……普段、青鈍色の月光の中でしか見たことの無いそれらの色を、真白のこの情景の中に置いたなら……。
埒も無い夢想は、不意に掛けられた声によって破られた。
「浩瀚」
振り返れば、待ち人たる少女が衝立を廻りこんでくるところだった。
火鉢によって暖められた空気に、ほっと肩の力を抜いたのが見て取れた。
「珍しいな。考え事?」
気配に気付かなかった事を揶揄うような口調に、浩瀚は礼を解くと小さく苦笑した。
「ええ。貴女の事を」
「嘘をつくな」
言下に返された言葉には、しかし僅かに甘えるような響きが宿っている。
公的な場では決して聞く事の出来ないその声音に、柔らかく心がくすぐられた。
「本当ですとも」
答えながら、火鉢の傍らで暖を取る彼女に歩み寄り、冷えたその手を包み込む。
「どのような事を考えていたか……お知りになりたいですか?」
知らず強くなっていたらしい視線に少女が一瞬怯むのが分かったが。
構わず浩瀚は、捉えた手を引き寄せ、華奢な体を腕の中に納めると、赤い髪から覗く少女の耳朶へ、ゆっくりと唇を寄せた。
<終>
2012.08.20