落葉



園林の中を、一陣の風が吹き抜けた。
立ち並ぶ木々の枝を揺らし、鮮やかに色付いた木の葉を、天へ届けとばかりに巻き上げる。
赤と黄色の破片が舞い散る景色に、陽子は思わず足を止めた。

「きれいだなぁ……」

まるで、紙吹雪のようだと思った。

***


それは朝議が終わり、正殿から内殿へ向かう回廊の途中での事だった。

一年最後の大きな行事・収穫祭も終わり、慶の季節は秋から本格的な冬へ移り変わろうとしていた。
下界より気候が穏やかなこの金波宮においても、朝晩は染み入るような寒さを肌で感じるようになって久しい。

その冷え込みに比例するように、園林の木々は日に日に美しく色付いていった。
特に、正殿と内殿の間にあるこの園林は、落葉樹が多く変化が著しい。
毎朝、回廊を渡りながらその景色を眺めるのが、ここ最近の陽子の小さな楽しみとなっていた。
忙しい日々の中で、ほっと気を緩めることの出来る、貴重な一時。
だが、足を止めたのはこの日が初めてだった。

「風が強うございますね」

陽子の後ろで、書類を手にした冢宰・浩瀚が口を開く。
その目は、陽子と同じく風に舞う色とりどりの葉を追っていた。

「うん。……悪い。みんな、先に行っててくれる?」

付き従う文官等は王の人払いの意を察し、丁寧に一礼すると回廊を進んでいった。

残されたのは、女王と冢宰。

「主上」


訝しげな呼びかけに、女王は身振りで黙るようにと伝えた。
やがて回廊に人影が絶えたのを確認し、くるりと振り向いた。
翡翠の瞳が、悪戯っぽくきらめいている。

「浩瀚、ちょっとだけ寄り道をしていこう」

園林を指して告げた少女に、怜悧な冢宰は僅かに苦笑し、是と答えた。

***


「一度、ここを通ってみたかったんだ」

早朝、庭師によって掃き清められた園林は、この強風で既に新たな落ち葉が降り積もっていた。
その中を、少女は軽い足取りで奥へ奥へと進む。
いつも通る回廊が、背後で立ち並んだ潅木の狭間に隠れて消える。

「でも景麒に言うと、また王としての自覚がどうの威厳がどうのと、うるさいからな」
「だから台輔のおられない今日、実行なさろうと?」

常ならば内殿に同行するはずの景麒は、本日は瑛州候としての公務のため、朝議が終わるとすぐ州城へ向かった。
少女は振り返り、にっと笑った。

「あたり」

――もっとも、思いついたのはさっきなんだけどね。

楽しそうな主の様子に、浩瀚も笑みを誘われる。

「台輔は、体面を気になさらない主上が、他の者に侮られるのではないかと心配なさっておられるのですよ」
「それは分かるけど……」

少女の口調に、拗ねた響きが混じる。

「何だ、浩瀚も景麒の味方をするのか」
「いいえ」

即座に返ってきた答えに、陽子は立ち止まり、引かれるように振り向いた。
風が、冢宰の位を表す紫紺の官服の袖を、はためかせていた。

「主上の、王である前に人であろうとする御心は、我ら慶国の民にとってこの上ない宝かと存じます。それが分からぬ愚か者は、放っておかれればよろしい」

穏やかな表情のまま物騒な事を告げる冢宰に、陽子は息を飲んだ。

「……厳しいな」
「私は麒麟ではございませんので。台輔の様に、主上を悩ます者にまで慈悲の心で接する事はできません」

――貴方の道を邪魔する者は許さない。

言外に、そう伝えてくる男。

その熱い気持ちに、陽子の顔はさながら紅葉のように赤く染まった。

「……浩瀚」

突如こみ上げてきた思いのままに、陽子はずいっと腕を突き出した。

「手、つなご」

飛び出した言葉に、陽子自身驚いた。

しかし浩瀚は、恋人である少女のぶっきらぼうなおねだりに僅かに目を見張ったものの、すぐに微笑を浮かべ答えた。

「喜んで」

と。

***


はらりはらりと、絶え間なく降る落ち葉の中を、二人は手を繋いで歩き出した。

――手を繋ぐと良い事は……。

歩きながら、陽子はちらりと横を見る。
浩瀚が、後ろではなく隣を歩いてくれる事だ。

その時、ひときわ強い風が吹き、一瞬にして視界が極彩色に彩られた。

「ああ……」

ため息とも感嘆ともつかない声が、どちらからともなく零れる。

「……綺麗だな」
「……綺麗ですね」

心を満たす、温かなもの。
それは、隣にお互いの存在があるからだ。

「台輔が、お可哀想ですね」

振り向いてそう呟いた浩瀚を見上げ、陽子は首を傾げた。

「何で?」
「この景色を、ご覧になれないのですから」


鮮やかな秋の景色と、それより艶やかな緋色の女王。
この眺めを独り占めしたと知ったら、かの麒麟はどう思うだろう?

男が口にしなかった思いに気付かぬまま、少女は無邪気に笑って、言った。

「違いない」

やがて二人は手を繋いだまま、再びさくりさくりと音を立て、内殿へと歩き出した。


――できうる限り、ゆっくりと。




                                                                         <終>


                                                                    2007.12.17

イメージは、北野武監督『Dolls』のポスターでした。

  

 

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