- *
- 12kingdomes
- *
情熱
こんな男だとは、思わなかった。
第一印象は、『怜悧な官吏』。
白皙の整った顔立ちに、色素の薄い髪。
感情を読み取らせない琥珀色の瞳。
人間離れした景麒とは別の意味で、冷たい印象を与える人物だと思った。
だが近くで接する内に、その印象は変わった。
確かに理性的で、抜群に頭が切れる。
けど、決して冷酷な人間ではなかった。
むしろ心の底には、人に対しての優しさ、温かさを備えていると分かった。
ただ彼はそれを無闇に表に出さない。
いや、出すべき時とそうでない時を明確に把握している。
一度、別の人にその事を言ってみたことがある。
相手はちょっと笑って、言った。
『それは官吏として長く生きていく上で、身に付けざるを得ない技術ですね。何気ない言動一つが、敵に付け込まれるきっかけになったりしますから。官位が上がっていけばいくほど、慎重にならざるを得ないんですよ』
そして声を潜めて、続けた。
『ですがあの方はそれを何の苦もなくなさっておられますからねぇ。根っから官吏に向いているというか……恐ろしいお方です』
言葉とは裏腹に、親しみに溢れた笑みを浮かべて言った。
そうだ。
親しく接する人間は皆、彼の能力と共にその事を知っている。
だから人望があるのだ。
彼が今、人臣の位を極めた位置にいるのは、決して偶然ではない。
在るべくしてそこに在る。
だから、信じられない。
彼がこんな男だったとは。
***
琥珀色の瞳が、優しく細められ私を見る。
「主上」
低音の、艶を含んだ声で囁かれるだけで、私は金縛りになったように動けなくなる。
その腕の中に抱き寄せられ男を見上げれば、耳の後ろに手が回り、顔を引き寄せられた。
唇に触れるだけの接吻。
だがそれはすぐに深いものへと変わり。
やや薄めの唇が、舌が、私の理性を翻弄する。
優しいくせに容赦のない、その行為。
私はなすすべもない。
体中の力が抜け、甘い痺れが駆け抜ける。
こんな男だとは思わなかった。
こんなに、激しい情熱を持った男だったなんて。
長い長い接吻の後、不埒な舌から開放された私は、男を睨みつけた。
「……やりすぎだ」
「お嫌でしたか?」
私が頷くとは、露ほども思っていない笑顔で。
「嫌だと言えば、少しは加減するのか?」
わざと突っけんどんに問えば、
「そうですね……」
長い指が、ゆっくりと私の唇をなぞる。
ざわりと、再び体温が上がった。
「本当にお嫌だと仰るのでしたら。ですが、とてもそうは見えませんね」
そう言って、彼の衣を掴んでいる私の手にわざとらしく目を落とす。
力が抜けて、縋り付いている手に。
「……景麒のような嫌味を言うな」
悔しまぎれの言葉に、おやおやとばかりに目を細める。
私を落ち着かなくさせる、妖艶な笑みを浮かべて。
「すっかり嫌われてしまいましたね」
私は精一杯睨みつけながら、男の顔を引き寄せた。
「ああ。こんな意地悪な男は大嫌いだ」
そうして口付ける。
憎たらしくて愛しい、私の冢宰に。
***
自分が、こんな人間だとは思わなかった。
私は自分を、良くも悪くも理性的な人間だと捉えていた。
他人より多少、自制心も強い。
おそらく、周囲の私に対する認識もさほど変わるまい。
思えば子供の頃からそうだった。
理性より先に感情が動くことは、滅多に無かった。
官吏になり官位が進むにつれ、その傾向はますます強まった。
国官に必要なのは、冷静かつ的確な判断。
個人的な感情がそれを左右することは、あってはならない。
そうやって、長い間生きてきた。
なのに。
彼女は、私のその自我を粉々に砕いた。
翡翠の、美しくも強い瞳がまっすぐに私を射る。
視線だけで心を絡め取られることがあるのだと、彼女によって初めて知らされた。
「主上」
囁くように呼べば、途端に表情は王のそれから恥じらいを含んだ少女のものへと変わる。
その可憐さに引かれるように、気付けば彼女を抱き寄せ、唇を求めていた。
かつて『自制心が強い』と自負していたのは誰だったのか。
「……やりすぎだ」
口付けから解放すると、腕の中の少女は頬を染めながら一生懸命睨みつけてきて。
悔しそうに憎まれ口を叩きながら、それでも身を預けてくれる彼女の様子に、愛しさと幸福感が沸き上がる。
「……こんな意地悪な男は大嫌いだ」
そう言って、言葉とは裏腹に顔を引き寄せられた。
少女からなされた口付けを心ゆくまで堪能してから、私は唇をずらしてその上気した耳元で囁く。
「でも、そんな拙めがお好きなのでしょう?」
一瞬目を見張った少女は、次の瞬間苦笑した。
「……全く、お前には敵わないな」
おやおや。
今度は私が苦笑する番だった。
「浩瀚?」
私の笑みを見咎めて、少女は柳眉を寄せた。
「貴女は、何も分かっておられないのですね」
本当に相手に敵わないのが誰なのか。
笑顔ひとつ、視線ひとつで、相手の理性も自制心も破壊しているのが、誰なのか。
「……どういう意味?」
問いには答えず、首を傾げる彼女の頬にそっと手を添え、三度口付けを贈った。
今までで一番、自制心のない口付けを。
<終>
2007.10.05