注:
末世物です。
直接的ではありませんが、残虐なイメージのシーンがあります。自己責任でご覧下さい。

緋色の終焉



仁重殿の最奥。
臥室に横たわった麒麟は、閉じていた目をゆっくりと開けた。
近づいてくる、ひとつの気配。
間違える筈のない、主の王気。
さらりとしょうとばりが開き、彼はそこに思った通りの姿を見つけた。

「……主上」

押し出した声は、ひどく掠れていた。
主は無表情に彼を見下ろし、その頬に手を伸ばした。
白く、肉の削げ落ちた頬を労わるように撫でる。

「……長く苦しめて悪かったな」

柔らかな声音と対照的に、まめのできた手のひらは硬かった。

「別れを言いに来た。……これから蓬山へ行く」
「……っ!主上!」
「お前は生きて、次王を探せ」

離れていく、小さな手。

「嫌です!」

弱った体を無理矢理起こし、主の衣の袖を掴んだ。

「私もお前を連れて行くほど理性を失ってはいない」

自嘲するような表情で告げた主を見上げて、彼は必死に『嫌です』と繰り返した。

「置いて、行かないで下さい」

白い頬を、一筋の涙が伝った。

「二度も置いていかれるのは……耐えられません」

彼の手を振り払おうとしていた主の動きが止まった。
思えば、彼が主に涙を見せたのは初めての事だった。

「どうか、共にお連れ下さい」

切れ切れに懇願した途端、彼は激しく咳込んだ。

「どうか……っ!」

小さな手が戻ってきて、彼の背中をゆっくりとさすった。

「……お前が死ねば、次王の選定が十年は延びる。民に余計な苦行を強いる事になるんだぞ?」
「主上が敷かれた荒民救済の手筈と大使館制度がございます。民は乗り切るでしょう」
「私に、これ以上悪名をのこせと言うか」
「既に主上の御名おんなは地に落ちました。今更何を恐れられますか」
「言ってくれる。本当にお前は厭味な奴だ」

苦笑を浮かべる主を、彼は見上げた。

「私の主は、もはや主上だけです」

紫の瞳に浮かぶ、真摯な希求。

「もう、他の主を選びたくはございません」

王気が翳ろうと、血の臭いが付きまとおうと。
天から授かった彼の感覚は、未だ悲しいほど目の前の主を指し示す。
彼女が、唯一の、絶対の、この国の王なのだと。
少女はそっと息を吐くと、下僕の体を牀に横たえた。

「……分かった。長年連れ添ってくれた礼だ。お前がそう望むのなら叶えよう……景麒」

景麒はほっとしたように笑んだ。

「ありがとうございます、主上」

陽子は腰に佩いた水禺刀をすらりと抜いて、牀に上った。
穏やかな表情の景麒を見下ろして、陽子も微笑む。
「とうとうお前にあざなをつけてやらなかったな。すまなかった」
「いいえ。この国に『景麒』は多くとも、主上にとっては私一人。それで十分です」

陽子の笑みが深くなる。
近年見ることのなかった艶やかな笑みと、迸る王気。

「景麒。最後の勅命を下す」
「はい」
「息絶えたら、すぐさま私の体を使令に喰わせろ。一片たりとも残すな」
「……御意」

水禺刀が、風を切った。

***


この日、十一の王宮で一斉に梧桐宮が開き、鳳が東方の変事を告げた。
長らく続いた、慶東国赤楽王朝の終焉だった。




                                                                          <終>


                                                                      2007.09.25

普段浩陽な私ですが、陽子の最期にまつわるのは、やはり景麒だと思います。

  

 

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