『同じようでいて微妙にすれ違う、二人の想い』がテーマでした。
王様としての陽子は、常に終わりを見据えながら生きている気がします。
月光
臥牀に差しかかる蒼い月明りに、浩瀚はふと目を覚ました。
夜半。
房室の内外に満ちる虫の音にしばし耳を傾け、浩瀚の意識は隣に添うぬくもりへと向かう。
彼の腕を枕にして規則正しい寝息を立てる少女。
その緋色の長い睫を見ていると、じんわりとした温かさが心を満たしていく。
先刻まで、自分の愛撫に全身で応えていた女とは思えぬほど、清楚な少女の寝顔。
この慶の王にして、神である存在。
――いつまで、この腕の中にいて下さるだろう?
――いつまで、自分を必要として下さるだろう?
王として日々成長していく彼女。
それを誇らしく思う一方、心の片隅で沸き上がる不安が身を苛む。
いくら研鑽を積もうと、いくら少女を抱こうと、不安は消えなくて。
思いもよらなかった。
自分にこのように執着するものができようとは。
たった一人に、自分の全てを持っていかれようとは。
「ん……」
少女が微かに眉を潜め、身動きする。
「主上?」
小さく囁いた声に引かれるように、少女が懐に入ってきた。
しばらくもぞもぞと動いていたが、やがて居心地良い場所を見つけたのか、再び健やかな寝息を立て始める。
胸をくすぐる緋色の髪。
そう、こんな風に。
いとも簡単に己の心を幸せで満たしてしまう少女。
永遠に彼女を守ろう。
教え、導き、盾となり、
……例えこの先、彼女が己以外の誰かを愛する日が来ようとも。
だが、今は。
この安らかな眠りを守る。
少女の体にそっと腕を回し、抱きしめた。
『永遠』という気持ちを初めて教えてくれた、女神を。
***
夢を、見ていた。
日本の……蓬莱の、懐かしい夢だった。
ふと目覚めて、自分が何処にいるのか分からず一瞬混乱した。
だがそれもほんの僅かな間。
窓から差しこむ蒼い月明りと身を包む浩瀚の香りに、意識が覚醒する。
ゆるゆると心を満たす安堵感。
いつの間にか男の胸に顔を埋めるようにして眠っていたらしい。
細心の注意を払って、そろそろと顔を上げる。
気配に聡い男を、起こさぬように。
見上げると、浩瀚の顔が至近にあった。
さらりとした、色素の薄い髪。
端整な白皙の頬。
その上に影を落とす、長い睫。
月明りの中で見る浩瀚の寝顔は、とてもきれいだった。
目を閉じた彼を見るのはとても珍しい。
繊細な見た目に反して気力と胆力を備えたこの男は、いくら徹夜をしようと昼に居眠りなどした事がなかったし、こうしてたまに自分が夜中に目を覚ました時にも、すぐ気付いて目を開けるのが常だったから。
こんな風に、彼の腕の中からこのきれいな寝顔を見る日が来るとは思ってもみなかった。
冢宰の任に就いてから、影になり日向になり支えてくれた男。
王として人として至らない自分を、認め、教え、導いてくれた彼。
そんな彼を、気付けば慕っていた。
だが、それは許されない想いだと思っていた。
麒麟への恋着で道を踏み外した前王の記憶は、まだ民の心に新しい。
女王の恋はこの慶国において禁忌。
だから無意識に封じ込めていた。
己の、心さえ欺いて。
浩瀚が、王としてだけでなく陽子自身をも求めていると知った時には、本当に嬉しかった。
叶うと思っていなかった恋心。
さんざん戸惑い迷った末、自分は浩瀚の手を取った。
その事は今でも後悔していない。
だが……こんな静かな夜に、不意に沸き上がる不安がある。
――否、それは確信。
この幸せも、いつかは必ず終わる。
それが浩瀚が心変わりした時か、己と慶の命尽き果てる時なのかは分からない。
だが終わりは確実に来るのだ。
何事にも『永遠』など存在しないのだから。
月明りは嫌いだ。
陽の光の元では顔を出さない、心の奥底の思いまで暴き出すから。
その時、見上げていた長い睫がふと開いた。
「……主上?」
現れた琥珀色の瞳に吸い込まれそうになる。
声もなく見つめるその先で、浩瀚の手が動き、頬を撫でた。
「どうなさったのですか?」
「えっ……」
彼の仕草で初めて気付いた。
自分が、涙を流していた事に。
「怖い夢でもご覧になられましたか?」
そっと涙を拭き取ってくれる、優しい指。
低く柔かい声。
「……何でもない。ちょっと……蓬莱の夢を見て」
本当はそのせいで泣けてきたのではなかったけど。
「浩瀚……」
名を呼んでその首に腕を回すと、相手は私が欲しがっているものを分かってくれた。
唇に、ぬくもりが落ちる。
触れるだけの優しい接吻。
「……もっと」
見上げて、少しだけ強い口調でそうねだると、浩瀚の琥珀の瞳が微笑みと共に細められる。
「御意」
体勢を変え、深く口付けてきた男に応えながら、祈るように強く願った。
いつか、この幸福が終わるなら。
それは彼の心によってではなく、自分の命の果てであって欲しいと。
心の底から、願った。
<終>
2007.06.09