『群青三メートル手前』様(閉鎖)のお題より
注:
性的表現がございます。自己責任でご覧下さい。
艶色十題
逢引の夜、最初に接吻をするのはいつも私の方だ。
視線や表情は冢宰ではなく明らかに私人のそれであるくせに、手一つ握る様子を見せないのに焦れて私から仕掛ける、そんな形ばかり。
それに気付いて文句を言うと、相手は『左様でございましたか?』と真面目な表情で首を傾げた。
『では今日は、私からいたしましょう』
言葉が終わらぬ内に、袖に包まれ唇を塞がれる。
いつもと同じ、ついばむように始まった接吻は、やがて互いに深く貪るようなものへと変わり、私の心と身体に火をともす。
――そういえば。
私が仕掛ける戯れめいた接吻を艶めかしく変えるのは、いつも浩瀚だ。
熱く乱された息の下、男の手がゆっくりと衣の中へ入ってきた。
始まりのくちづけ
(本当の始まりは、どこ?)
夜更けの冢宰府。
先触れもなしにふらりと現れた主は、筆を置いた私に首を振った。
「思いついてちょっと寄っただけだから。仕事が終わるまで待つよ」
経験上、ここで異を唱えれば、このように立ち寄って下さる事自体なくなってしまう。
私は再び筆を取り上げた。
仕事にきりのついたところで、外を眺めておられる主上に歩み寄った。
「何をご覧になっておられるのですか?」
「……仕事は?」
「済ませました」
卓上を一瞥し、主上は再び窓の外へ目を向けた。
「何となく回廊を眺めていただけ。冢宰府の官吏はみな働き者だな。こんな時間でも、まだ人が残っている。あの回廊もしばしば人が通るんだ」
女、男、男、と、僅かに掠れた声が数え上げる。
「さあ、次はどっちだと思う?」
窓枠にもたれ微笑む様は、疲れのせいかどこか気怠げで。
少女の姿で醸し出される成熟した色に、私の中の男が揺さぶられた。
「……では、賭けましょうか?」
一瞬、驚いたように緑瞳が開かれた。
「……いいけど。何を賭ける?」
「主上が勝たれたら、何でも一つ、望みを叶えましょう」
「何でも?」
「はい。私に出来うる事なら、何でも」
主上は考えるように沈黙した。
「では、私も同じものを賭けよう」
「して、どちらに賭けられます?」
「男」
「では私は女に」
二人で黙して回廊を眺めることしばし。
やがて回廊の端に文箱を手にした女性官吏の姿が見えた。
「……女だったな」
「女でしたね」
緋色の髪にそっと指を絡める。
「私の勝ちでございます」
振り返った主上が私を見上げ、呆れた様子でため息をついた。
「……お前、その顔」
今、舌舐りしたでしょう
(あなたを手に入れるためならば、どんな些細な機会も逃しません。
そのためなら、
「今宵は主上が脱がせて下さいませ」
その夜、逢瀬の始まりにそう言ったのは、ふと思いついただけの戯言だった。
彼女は、照れて顔を背けるかと思いきや、頬を赤らめたもののきっと睨み返し、挑むように口づけてきた。
濃厚な接吻を続けながらゆっくりと私の衣を緩めていく。
小さな手が忍び込み、形を確かめるように肌を撫で上げ、私は思わずうめき声を上げた。
「……いつもお前がやるようにやってみた」
唇が離れ、乱れた息と共に耳元でささやかれる。
「どうだ?自分の手管を味わう気分は」
翡翠の瞳がにっと勝ち気に笑んだ。
「……癖になりそうですね」
答える声は情けなくも掠れていた。
私はいつもより性急に彼女の衣を剥いだ。
指が肌をすべる感触
(細い指の感触は、しばらく私の中から消えなかった)
律動と共に上がる喘ぎ声と、反応する小麦色の背中。
その上で踊る紅い髪。
それらを押さえつけるようにして、うなじを食む。
その時いつも思い出すのは、幼い頃に見た虎の事だ。
山の中で遭遇したその雄虎は痩せこけていた。
そして、久しぶりと思しき食餌をしているところだった。
獲物を前脚で押さえ、脇目もふらずただ一心に貪っていた。
あの虎も思っていたのだろうか。
己の中が徐々に満ち足りていくこの感覚。
この至福の瞬間を、ずっと感じていたいと。
喰い尽くしてしまいたい
(けれど、喰い尽くした瞬間に再び飢えが始まる)
主上と台輔に対し、今冬行う土木工事の素案を奏上するためだ。
卓上いっぱいに広げられた慶の地図。
俯いて真剣な表情でそれを見つめる主上の背から、紅い髪が流れ落ちた。
ほっそりとしたうなじが露わになる。
明け方、そこにつけたしるしはとうに無い。
この時だけは、傷の治りの早い神仙の身を恨めしく思う。
白日の下、王と冢宰として過ごしていると、夜の逢瀬のひとときが夢のように思えてくる。
うつつの出来事である確信が欲しくてわざとしるしをつけても、それは午を待たずしてあっけなく消えてしまう。
愚かな男の考えを笑うかのように。
つと、主上の顔が上がった。
「浩瀚、今、冬官長が言った問題点、どう思う?」
「それについてですが、いくつか対策を考えてございます」
たった今まで考えていた事などおくびにも出さず、冢宰の顔で答える。
先を促す真面目な表情の主上の横で、台輔だけが厳しい目で私を見据えていた。
このしるしに所有されているのは
どっちだろうね
(私の背の疼きさえ、あっという間に消えてしまう)
何事も淡々とそつなくこなす我が冢宰は、普段ほとんど表情を変えない。
常に冷静沈着、声を出して笑うこともない代わりに、激しい怒りを見せることも――まぁ、ほとんどない。
無論それは政務の場においてであって、恋人として
微笑む程度だが意外によく笑うし、意地悪だったり、ごくたまにだけれど、浮かれているように見える時もある。
けど最近、新たに発見した。
情事の際に時折見せる、片目だけ瞑る程に細めた表情。
だが、やがてそれが極限まで高まった快楽をやり過ごそうとしている時のものだと気付いて。
私はその表情がとても愛おしくなったのだった。
きみのその癖、好きだよ
(今日も現れたその表情に、私は乱れる息を抑えながらそっとくちづけた)
「やっ……!」
背けられた顔。
突っぱねるように私を押す両の手。
しかし、少女の身とはいえ長く武術をたしなんだ彼女にしては、その抵抗はとても弱々しく。
私は捉えた腰を一層引き寄せた。
「っ!浩瀚……離せ!」
「離しませぬ」
紅髪に顔を寄せ、私は人を誑かす悪鬼のように囁いた。
「本当にお嫌なら、使令に私を排除するようお命じ下さい」
何か言おうとする彼女の
熱が全てを教えてくれるから
(ほら、あなたの中はもうこんなにも熱い)
「気に入らん」
荒い息が収まらぬ中、腕の中の女王はおっくうそうに目を開くと呟いた。
「努力が足りませんでしたでしょうか?」
「そうじゃなくて」
私の言葉を遮り、主上はいきなり体を起こした。
不意をつかれて仰向けに倒れたその上に、小麦色の肢体が跨る。
「……これはこれは。よい眺めでございますね」
思わず口の端を上げると『ほら、それだ』と不機嫌な表情で指摘された。
「お前のその余裕ぶった態度が気に入らん」
たまには慌ててみせろと言うや否や、緋色の頭が脚の方へ屈み込んだ。
「……っ!主、上」
「何だ」
「このようなこと、どこで覚えられました?」
こちらを見上げた翡翠の瞳に呆れたような色が浮かぶ。
「気にするのはそこか」
「重要なことかと」
主上はにっと笑んだ。
赤く長い舌が、殊更にゆっくりと動く。
「教えないよ。焦った顔でも見せてくれたら考えるけど」
「今、非常に焦っておりますよ」
「全然そうは見えない。……つまらん男だ」
拗ねたようなに口を尖らせた表情に、思わず苦笑が漏れた。
「主上」
「ん?」
「それで、どこで覚えられたのです?」
本当は余裕なんて少しも、
(あなたの心を得るために、私がどれほどなりふり構わずあるか知ったら、きっとあなたは逃げ出すだろう)
ずんと突き上げられる衝撃に、思わず目の前の男の首に縋る。
激しく容赦無く与えられる快楽に、理性が少しずつ溶けて消えていく。
私は唇を噛み、漏れそうになる喘ぎを必死に抑えていた。
だというのに。
「声を……お聞かせ下さい」
耳元で低い美声が唆してくる。
「だっ……て、誰かに、聞かれたら……っ!」
宵から夜へ移り変わろうとしている
まだ人々が眠りにつくには早過ぎる時刻。
声を上げれば誰に届くか分からない。
「人払いは済んでおります。遠方まで、完璧に」
もっとも、と、唇でうなじを辿りながら、悪魔の囁きは続く。
「宵に、襦裙をお召しになったお美しい主上がお渡り下さったのです。
いつの間にか、首に縋りついていた手が解かれていた。
肩まで下りた唇が、襦裙を落とし、更に下へと進んでいく。
「どうぞ存分にお声を」
続いて与えられた強すぎる快楽に、私はとうとう悲鳴のような声を上げた。
ことばはいらない、こえだけあれば
(ことばにならないほどの激しさで)
「お前の腕の中は温かいな」
今年初めての木枯らしが吹いた夜、寒がりの主は堂室に入ってくるなり私に抱きついて、嬉しそうに言った。
「こんな日にはほっとするな。体温なんてなさそうな男なのに、不思議だ」
「これは異なことを。私も元は人たるただの仙でございます」
「そうなんだけど」
お前と景麒はなぁ、と呟く主上を少しでも温めるべく、囲う腕に力を込める。
「主上は、失礼ながら見た目より体温が低くていらっしゃる」
「あ、それ、よく女御達にも言われるんだ。何でかなぁ。肌の色がこれだから温かく見えるのかな。それとも名前のせい?それか……」
理由を並べていた声が不自然に途切れた。
同時に、翡翠の瞳がきっと持ち上がる。
「まさか、子どもみたいだからだとか言わないよな」
思わず苦笑が漏れた。
「申しませんよ」
錯覚するのは、主上の放つ存在感と生命力の強さ故だ。
だがそれを伝える代わりに、私は彼女の柔らかな頬へ手を伸ばした。
「他ならぬ私が、そのような事を申し上げるわけがございませんでしょう?」
一瞬動きを止めた主は、やがて触れていた頬を赤く染めた。
「……またお前はそういうことを」
羞恥と怒りの織り交ざった表情を存分に愛で、私は主の肩を押した。
「まだお身体が冷えております。もう少し温めましょう――子どもには出来ぬ形で」
抗議の声を口づけで封じると、私は見た目より華奢で冷たい身体を抱き上げた。
幸福はここにあるのだと知る
(全ては、あなたのそばに)
<終>
2014.11.05